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ID:guyuan
暱稱獨眼龍的朋友
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目前分類: 2007年09月的文章    檢視方式: 列表 摘要
September 27, 2007
頁101
によると思われるが、その点で似ているのは「公」字である。この字の草体は片仮名の「ニ」もしくは平仮名の「こ」に近い形に書かれることが多く、花押では横線二本に形象化されうる。次に「公」字を取り入れた二合の花押数例をあげよう。
 図31はさきにあげた藤原実能の子、大炊御門右大臣公能(一一一五―六一)の花押である。『花押かゝみ』によると、これは公能十五歳の時の花押であって、のちの花押はこれとちがった形になっている。それはともかく、ここに示したものは、始筆(上部の横線)と終筆(右下端の横線)とで(図32の点線で示した部分)「公」を表わし(終筆が心もち「□」に)
這個點相似的是「公」字。「公」字的草體片假名「ニ」,與平假名的「こ」很相近,大多數以此形書寫,花押以二條橫線形象化。其次,以「公」加入二合的花押例。
圖31是先前舉的藤原實能之,大炊御門右大臣公能(一一五-六一)的花押。根據《花押かゝみ》,公能十五歲時的花押。之後的花押不同,起初的筆畫(上部的橫線)與最後的筆畫(右下角的橫線),表示(圖32的點線表示部分)「公」(終筆為心字接近「ム」),
頁102
近くなっている点に注目)、その中間部分(同上の実線部分)のおいて「能」の中の「月」の形象化を示している。あるいは、始筆の横線をもって「公」の「八」と「能」の「□」を兼ねさせたと見ることもできよう。次の図33は大政大臣西園寺公経(一一七一―一二四四)の花押である。公経が関白九条道家と結び、鎌倉将軍頼経の外祖として朝幕間の枢機にかかわり、西園寺家隆昌の基を築いたことはよく知られるところである。この人の花押を分解すると図34のようにになり、Aは「公」そのものであり、Bの左部分でおそらく「経」の糸偏を表わし、右部分の縦線三本で「経」の旁部「巛」を表わしている。実名に「経」字をもつ人物の花押や草名が、縦三線で「経」を表わしている例(泰経・在経・守経・義経・朝経)をさきに紹介したが(八四―八五頁、図54~59)、この公経の花押もその一例である。もう一つ「公」字を取り入れた花押をあげると、鳥羽院政期に活躍した参議藤原公隆(一一〇四―五三)の花押(図35)がある。これは上部の横線二画が「公」を、それから下に彎曲してのびた長い線が「隆」の阝偏を、そして残りの点に近い縦三線が「隆」の中の「生」(古体は□)の横三線を、それぞれ表わしていると解される。例によって、これをABC三部分に分解して示す(図36)。なお「隆」字を縦三線で表わした花押の傍証
中間部分(同上的實線部分)是「能」中的「月」的形象化。或是起筆的橫線是「公」的「八」與「能」的「厶」。圖33是太政大臣西園寺公經(一一七一-一二四四)的花押。公經與關白九條道家結盟,作為鎌倉將軍賴經的外祖與朝廷及幕府間有樞機的關係,建築起西園寺家隆昌的基礎。圖34是此人花押的分解,A是「公」,B的左部分可能是表示「經」的系偏旁,右部分的三條縱線是表示「經」的偏旁「巛」。其實名有「經」字的人花押與草名,以三條縱線表示「經」的例子(泰經、在經、守經、義經、朝經)在前面已介紹(頁八四-八五,圖54~59),公經的花押也是其中一例。取一字「公」入花押的人,活躍於鳥羽院政期的參議藤烈公隆(一一○四-五三)的花押(圖35)。上部的二畫橫線是「公」字,從此向下彎曲伸長的線是「隆」的偏旁「阝」,其剩下的三點接近三條縱線是「隆」字的「生」(古體字是 )三條橫線代表。例如圖36以ABC三部分來分解。「隆」字是以三條縱線表示,其旁證有
頁103
として、小槻隆職・四条隆衡・清原教隆のものをあげてみよう。源平争乱末期の左大史で頼朝・義経の争いの余波を受けて解任の憂き目を見た小槻隆職(一一三五―九八)の花押(図37)は、おそらく始筆の彎曲線(図38の点線部)で「隆」の阝偏を表わした、いわば「隆」一字の花押であろう。もっとも、この人物は生涯にいく度か花押の筆画・運筆順序を変えていて、ここに示したのは仁安二年(一一六七)のものである(『花押かゝみ』に、五八頁参照)。次に鎌倉前期の廷臣、権大納言四条隆衡(一一七二―一二五四)の花押(図39)は、これを分解すると図40のようになり、A
小槻隆職、四條隆衡、清原教隆等。在源平爭亂末期受到賴朝及義經爭鬥的餘波,的而解任左大史的小槻隆職(一一三五-九八)的花押(圖37),起筆可態是彎曲線(圖38的點線),作為「隆」字偏旁的阝,留下的三條縱線(同上的實線)表示「生」字,是以「隆」字的一字花押。特別是小槻隆職在其生涯中有幾次花押筆畫及順序的變化,仁安二年(一一六七)的花押(參照《花押かゝみ》二,頁五八)。鎌倉前期的廷臣權大納言四條隆衡的花押(圖39),圖40是其分解,A
頁104
でやはり阝偏を、Bの実線と点線の縦三線で「生」を表わし、Cの点線と実線で「衡」の中の「行」の草体を表わす(点線の一画はAB共用)、「隆」と「衡」の各部分を合わせた二合の花押と解される。なお、隆衡の祖父隆季に始まる四条家は「隆」を通字としたので、平安末から南北朝期にかけて史上に現れる四条一門の人々には、縦三線を主要構成部分とした花押のはなはだ多いことをつけ加えておく。次に、鎌倉に下って将軍の侍講となり、金沢実時にも漢字を教えた清原教隆(一一九九―一二六五)の花押(図41)も、例の如く分解するとAB二部分となり(図43)、Aは「孝」の草体の書き出し部分、Bはやはり
是阝的偏旁,B的實線與虛線的三條縱線表示「生」,C的虛線與實線是「衡」字的「行」草體(虛線的一畫是AB共用),含有「隆」與「衡」的各個部分是二合花押。並且從平安到南北朝期的歷史上出現,隆衡的祖父隆季開始四條家族的「隆」字,四條一門的族人,主要以三條縱線居多。成為鎌倉時將軍的侍講,教導金澤實時漢字的清原教隆(一一九九-一二六五)的花押(圖41),例如分解成AB的二部分,A字是「孝」的草書體,B是
頁106
「生」の三線を表わすと見てよいであろう。もう一つ、一字の花押例としてあげた藤原資隆の花押(図44、八三頁、図50に示したもの)は、「資」の一部である「次」と解したけれども、図45のように分解してみると、書き出しと終筆(実線部分)で「次」の草体を表わし、中間の縦三線(点線部分)で「生」の三線を表わす。つまり「資」と「隆」の各部分を合成した二合の花押と見た方がよいようである。
表示「生」的三條線。再舉藤原資隆的花押(圖44,頁八三,圖50)是「次」是「資」的一部分,從圖45分解最後筆畫(實線的部分)是草體,其中間的三條縱線(虛線的部分)是表示「生」的三條線。總之,含有「資」與「隆」的組合成為二合花押。95.10.04
Ⅴ執権北条氏の花押について
Ⅴ幕府將軍北條氏的花押-107
頁108
 花押は、自分をを他人から区別する独自性の表徴として作成、使用されるサインの一種である。個々の花押にどのような独自性の主張がこめられているかを知ることができたら、花押はそれ自体有力な陳述史料となるであろう。では、花押からいかにして使用者の独自の花押は文字を原拠としているらしいが、そうとすれば、その原拠の文字は何であるかを明らかにすることが、不可欠の作業であることは明らかである。そしてそのような作業は、少数の人物、特別に選ばれた人物の花押について行うでは、無意味とはいわないまでも、あまり有効ではないのであって、一時代の、一社会圏もしくは一集団に属する相当人数の花押が明らかになってはじめて、全体の共通性、一般性を考えることができ、その上ではじめて個々の花押の特異性、独自性を考える手がかりが得られるであろう。このような考えで、花押における原拠の文字の判読を試みている者の、一つの中間報告として提出するのが、この小篇である。もとより片々たる作業報告にすぎず、将来書かれるであろう花押論の一脚注たりうれば足る。読者の清鑑を仰ぐ所以である。
花押作為自己與他人區分的獨自性表徵,是一種簽名。每個花押都含有其獨自性的主張,花押是成為自體有力的陳述史料。如何從花押讀出使用者的獨自性主張呢?每個花押,是如何作出來的呢,大部分花押有其原來根據,那到底原據的文字是什麼,要去明白其文字是不可欠缺的作業。為了這個作業,特別選出少數的人物其花押來研究,並要找有意義的且有效的花押,以一個時代或一個社會團體的相關人數的花押,以考量其全體的共通性、一般性,再得到個別花押的特異性及獨自性。為了這個原因,試著去找出花押原出處的文字來判讀,提出每個花押的報告,這是篇文章的重點。這不過是簡短的作業報告,作為將來書寫花押的文章的一個註腳已足夠了,是希望讀者的指正。
頁110
一時政型の花押
一 時政型的花押
 執権北条氏の始祖時政の花押(図1)の左半分が、「日」を表わすことは「攵」とみることも、「寺」と見ることも、ともに可能である。まず、「政」及び「攵」を旁とする字の草体をいくつ示すと、図2のようであり、「政」字が下にくる名の人の花押をあげると、図3、4ようなのがある。次に、「時」の草体は図5のようであり、「時」字が
執權北條氏的始祖時政的花押(圖1),其左半邊是表示「日」字,右半邊是「攵」,也可能是「寺」。首先「政」及「攵」的偏旁,以圖2其幾個草體為例,「政」字下面是名人的花押,圖3、4也是如此。圖5是「時」的草體,「時」字下面是有名人的花押圖6、7
頁111
下にくる名の人の花押には図6、7のようなががある。このうち、藤原隆時の花押は「三」が「隆」を表わし、底線の左から右上へ引いた曲線が「寺」を表わしているとみてよいであろう。
 以上のように時政の花押は、その右半部を「攵」と見るか「寺」と見るかによって、「時政」の二合か「時」の一字か、花押作成に当たっての文字の選定と、作成が大きく左右されるわけであるが、今は「時政」の二合と考えたい。ともあれ、全体を梯形にもとめて、右端すなわち終筆を内側にはねた、この時政の花押は、彼の子孫に決定的ともいえるほどの影響を与えた。その第一は時政の次子で、
。之後,藤原隆時的花押以「三」表示「隆」字,從底線的左邊向右上外張的曲線,表示「寺」字。
以上時政的花押,其右半是「攵」與「寺」,「時政」二個字合成或「時」一個字,作為花押的文字,其作法是向左右,今日的「時政」應以二合字花押來思考。總之,全體是梯形,右端指最後筆畫向內側鉤起,時政的花押決定子孫的樣式。第一是時政的次子
頁112
六波羅探題、関東の連署として、北条泰時とよいコンビをなした時房の花押(図8)である。第一画(図9の点線部)が、単に花押の枠組を示すものか、あるいは時政にならって「日」を表現するものか、にわかに断定できないが、それ以外の部分(図9の実線部分)が「房」の草体(図10)の変形であることは、ほとんど確定である。時房はやがて、この花押に小変化を加えて、図11の形を用いる。次は時政の孫で、北条氏嫡統第三代の泰時の花押(図12)である。これは承久三年(一二二一)のもの(前田家所蔵文書、古蹟文徴)で、筆順が分かりにくいが、図13を見れば、筆順はよく分かる(これは承応三年〔一二二四〕)、斉
六波羅探題作為關東的連署,成為與北條泰時好的組合的時房的花押(圖8),第一畫(圖9虛線的部分),單單以花押的組合,或許時政是表現「日」字,無法直接斷定,此字外的部分(圖9實線部分)是「房」的草體(圖10)的變形,大約是可確定的。之後的時房,花押加入小變化,改以圖11.時政之孫,北條氏嫡統第三代的泰時花押(圖12),這是承久三年(一二二一,前田家所藏文書,古蹟文徵)的花押不易分辨其筆畫順序,從圖13可輕易明白其筆畫順序(貞應三年〔一二二四)齋
頁113
藤文書)。この泰時の花押の基幹部(図12の点線より左部分)は「泰」の草体(図14)の実線部分、すなわち「」に当たる部分であろう。これを分かりやすく書き直してみると、図15、16のようになる。ただ、15と16では、運筆にちがいがあるけれども、花押を作成する上で、運筆を種々変えることは間々見られるところであって、右のような解釈を妨げるものではない(第Ⅲ章七九頁参照)。花押の最後の二画(図12の点線より右部分)が、「時」の草体の右半部(図15参照)に当たるのか、あるいは「泰」の終筆(図14の点線より右部分)を表わしているのか、時政の場合と同じく判定できない。
藤文書)。泰時花押的基幹部(從圖12的虛線左部分)是「泰」的草書體(圖14)的實線部分,即是「」的部分,從圖15及16可以分辨。只是圖15與16的運筆不同,在製作花押上可以看到不同的運筆,在右邊的解釋是不妨礙的(可參照頁七九,第Ⅲ章)花押最後二畫(圖12虛線的右部分)是「時」的草書右半部(參照圖15),或表示「泰」的最後一筆(圖14虛線的右部分),無法判定是否與時政的用法相同。
頁114
 次に泰時の孫で、兄経時に代って家の嫡統をつぎ、執権となった時頼の花押(図17)も時政である。時頼の花押としてよく知られているのは寛元四年(一二四)執権就任以後のもの(図18)であって、図17は仁治三年(一二四二)のものである(斉藤文書)。両者を比べると、形は大分ちがうけれども、筆画及び運筆は同じであって、図17から図18へと変わったことが分かる。そこで初期のものとして図17について観察すると、これは「頼」を元にしたものと認められる。「頼」の草体(図19)、平安時代の源頼親(図20)、藤原顕頼(図21)、大中臣頼宣(図22)等の花押を参考に示す。図20は点線の左半が「束」、右半が
泰時之孫繼替代承兄經時代的家族嫡系系統,成為執權的時賴其花押(圖17)也是時政型。時賴的花押較為人知是寬元四年(一二四六)就任執權之後的花押(圖18),圖17是仁治三年(一二四二)(齋藤文書),比較兩者,形體大部分不同,但筆畫及運筆相同,可知是從圖17變成圖18。作為初期的圖17觀察,應是「賴」字的草體(圖19),參考平安時代源賴親(圖20)、藤原顯賴(圖21)、大中臣賴宣(圖22)等花押。圖20
的虛線左半是「束」,右半是「見」
頁115
「見」であり、図21は「顕」の一字、従って点線の右半が「頁」に当たる。また図22の第一画(上部の横線)は「宣」のウ冠を示し、それ以外は「頼」を示すと見られる。これらを参照すれば、図17の点線より左部分が「束」で右部分が「頁」、つまり全体で「頼」と判読できよう。
 次に時頼の孫兼時・宗方兄弟の花押も時政型に含めることができる。まず兼時の花押(図23)を見よう。この人は弘安四年(一二八一)播磨の守護に補せられた当時は相模七郎時業といい(東寺文書五常)、同七年十二月六波羅探題に転じた時は兼時と名乗っている(六波羅守護次第)。図23は弘安三年七月の文
圖21是「顯」的一字,點線的右半是「頁」。又圖22第一畫(上部的橫線)是表示「宣」的ウ冠,之外表現的是「賴」。由此參照的話,圖17虛線左部分是「束」,右部分是「頁」,總之是「賴」。
時賴之孫兼時、宗方兄弟的花押也含著時政型,首先是兼時的花押(圖23),此人是在弘安四年(一二八一)任播磨守護當時稱為相模七郎時業(東寺文書五常),在同七年十二月轉任六波羅探題以兼時為名(再任為六波羅守護)。圖23是弘安三年七月
頁116
書だから(毛利元雄氏所蔵文書)、時業の時代に属し、二本の縦線が甚だ特徴的である。そして、同じく「業」の字をもつ時業の同族業時(赤橋系、重時の子、弘安六―十年連署)の花押(図24)、平安末期の官務小槻永業(?-一一六四)の花押(図25)がやはり同じ特徴をもつことから容易に考えられるように、これらの人々の花押は「業」の一部「□」を元にして作られたものである。永業の場合は全く「□」そのものといってよいが(なお、八三頁参照)、業時の場合は、縦二線の間に書かれた上の斜線が本字の左の点を表わし、時業の場合は、縦二線に右に書かれた二つの円形が本字の左右の二点を表わしている。なお、時
的文書(毛利元雄氏所藏的文書)屬於時業的時代,特徵是二條縱線。於是有著同樣的「業」字時業的同族業時(赤橋系,重時子弘安六-十年任職連署)的花押(圖24),平安末期的安務小槻永業(?-一一六四)的花押(圖25)也有其特徵。這些人的花押是取「業」的一部分「」作為花押字。永業的場合全是「」(參照頁八三),在業時的場合以二條縱線書寫向上的斜線表示本字的左點,時業的場合是二條縱線向右書寫二個圖形表示本字的左右二點。並且,
頁117
業は上記のように弘安四~七年の間に兼時と改名するが、その後もほぼ同形の花押を用い(高野山文書、宝簡集、弘安九年)、正応元年(一二八八)に至って、右側の二つの円形を大きくして、縦二線の特徴を著しく弱めるとともに、従来第二の縦線を書き下ろして一旦筆を止めてから、そのまま筆を右上に上げて円を画いていたのに、書き下ろした筆をとめずに右に彎曲させて、下から上へ第一の円を画くように、運筆をかえている(図26)。このような変化が、改名を意識したことによるものなのかどうか、判断の資料のないまま、今は事実のみを記しておく。
 次に兼時の弟で六波羅探題をつとめたのち、
在時業上記在弘安四~七年間改名為兼時,之後大約用同形的花押(弘安九年高野山文書、寶簡集)至正應元年(一二八八),向右側的二個大圓,同時是較弱的二條縱線,舊的書寫止於第二條縱線書寫向下,向右上揚起畫圖,不止於向下書寫,改向右彎曲,從下向上畫第一個圓,改變了運筆的方式(圖26)。變化是意識出其改名,但沒有資料可半斷,以此事實記下。
兼時之弟在其任職於六波羅探題之後,於嘉元三年(一三○五)產生叛意,
頁118
嘉元三年(一三〇五)叛意ありとして鎌倉で誅せられた宗方の花押(図27)は、平宗盛の花押(図28)を参照すると、点線より左の部分で「宗」を示し、点線より右の部分つまり終画で「方」の部分(図29、方の草体参照)を示すと解せられる。
 時頼の弟時定の孫で、正和・文保頃鎮西探題をつとめた随時の花押(図30)は、終画の形が宗方に似ていて、時政の含められるが、左半の三角形と縦長四角を重ねた形は、おそらく「随」の一部「有」の草体(図31)を形象化したものであろう(当時「隨」の正字体より異体の「随」が一般に用いられた)。なお参考までに、平安時代の事例をあげると、
並在鎌倉被誅殺,名為宗方,其花押(圖27),可參照平宗盛的花押(圖28),從虛線的左部分表示「宗」字,總之由虛線的右部分最後筆畫是「方」的部分(圖29是方的草書體)。
時賴弟時定的孫任職正和、文保時期鎮西探題隨時的花押(圖30),最後的筆畫與宗方相似,含有時政型,重疊於左半的三角形與縱長低四角形,是「隨」的一部分「有」字的草體(圖31)的形象化(當時「隨」的正體字比較,一般用異體的「」字。)以平安時代的例子言之,
頁119
源有政の花押(図32)は「有」の草体そのまま、藤原有光の花押(図33)は点線より左の部分で「有」を表わし、いずれも随時の花押と類似している。
 次は泰時の弟重時の一流、赤橋系に移る。まず極楽寺殿とよばれ、家訓を遺したことでも知られる重時の初期の花押を二つあげる。図34は寛喜三年(一二三一、松尾社文書)、図35は貞永元年(一二三二、金山寺文書)のもの。図34は下部が欠けているけれど、図35ではよく分からない第一画の意味が分かる点で貴重である。すなわち図34によれば第一画と第二画は、なべぶた「□」を表わしている。この点に注目すると、この花押が「重」の草体
源有政的花押(圖32)是「有」的草書體,藤原有光的花押(圖33)由虛線的左方的部分表示「有」,全部都類似隨時的花押。
泰時的弟重轉移至一流、赤橋系。首首是在極樂寺殿遺留家訓,有重時初期的二個花押。圖34是寬喜三年(一二三一松尾社文書)、圖35是貞永元年(一二三二金山寺文書)的花押,圖34欠缺下部,圖35無法理解第一畫。圖34的第一畫及第二畫表示鍋蓋「」。此花押是「重」的草書體
頁120
(図36)を半ば左に倒した形を元として形象化されていることが分かる。図37の実線部分を図36と比較せよ。さらに図35を時政の花押(図1)と比較すると、単に全形が酷似しているだけでなく、左半の三角形(図38の実線部分)が時政の花押そっくりである。この部分は時政と同じく「日」を表わしたのかもしれない(その場合、「重」と一部重なる)。
 重時の子長時の六波羅探題在職期の花押(図39)は、点線より左の部分が「長」を表わすと見てよいだろう(図40「長」の草体参照)。長時はのち執権職の頃になると図41のように花押を変えるが、これは元の花押に修正を加えたものであって、原拠の文字を変え
(圖36)是倒向左半部的元字形象化。圖37的實線部分與圖36的比較。圖35與時政的花押(圖1)比較,不僅是全形的相似,左半的三角形(圖38的實線部分)與時政的花押也非常的相似,這個部分與時政相同表示「日」字(這樣的情形與「重」的一部分重疊)。
重時之子長時任職六波羅探題的花押,虛線的左部分是表示「長」(參照圖40「長」的草書體)。長時之後任職執權時的花押(圖41)已有改變,以原來的花押修正。
September 26, 2007
Essence.994


           【 黙々と、積み重ねる。】

默默地累積。


                .:*:.


        「花は一瞬にして咲かない。
「花兒不是在一瞬間就開。
         大木も一瞬にして大きくはならない。
大樹也不是在一瞬間就成為大樹。
         一日一夜の積み重ねの上に、
是一日日一夜夜累積而成,
         その栄光を示すのである。」
這是顯示了他們的光輝面。」

             坂村 真民(さかむら しんみん。詩人)


             Today's message


           「流れてさえおれば
「若阻擋水流的話
            水は必ず海に達する
流水終究會到達大海,
            それと同じように
同樣的道理,
            努力さえしておれば
努力受到障礙的話,
            所思は必ず遂げられる」
心中的目標最後仍能完成。」

           「深海の真珠のように
「如深海的真珠般,
            ひとりひそかに
自己默默地
            自分をつくってゆこう」
經年累月後形成真珠。」

                  坂村 真民


September 19, 2007
             【 心に決める。】

決心


      「富士山に登ろうと心に決めた人だけが
只有決心要登上富士山的人,
       富士山に登ったんです。
才能登上富士山。
       散歩のついでに登った人はひとりもいませんよ。」
其次以散步的心態來登山,沒有一人能成功。
                 ジョージ秋山(漫画家)



             Today's message


       「大きな成功を収めた人に共通する特徴を
得到成功的人,其共通的特徵是
        ひとつあげるとすれば、それは素早く決心して、
有一個可舉出的例子是很早就下了決心
        その決心をめったに変えないことだ。
,這個決心是不輕率的改變。
        一方、うまくいっていない人は、
一方面並沒有做易作之事的人是指
        決めるまでに長い時間をかけ、
花了長時間才決定
        その決定をあっという間に変えてしまう。」
,在一瞬間改變了決定。

         『誰でもできるけれど、
          ごくわずかな人しか実行していない成功の法則』より
出自「誰都能完成,但是


          「運命を決めるのは、
「決定命運是
           人生を取り巻く環境ではなく、
圍繞在人生,不是環境,
           その人の決断である。」
這是指人的決斷力。
               『人生を変えた贈り物』より
出自「改變人生的禮物」


September 13, 2007
  【 飛躍のチャンス。】

急速跳躍的機會


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         「試練のときこそ
試練之時,
          大きな飛躍への絶好のチャンス」
是大大地往前進步的好機會。

          豊田 英二
        (とよだ えいじ・トヨタ自動車 元社長。)




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             Today's message


        「逆境は日常的なできごとであり、
逆境是家常便飯,

         あなたの実力の試金石である。
是你實力的試金石。
         あなたの心の持ち方しだいで、
你的內心把持的基臺,
         それは障害物にもなれば跳躍台にもなる。」
這些成為障害物的話,也是跳躍前的基臺。

                『自分を磨く方法』より
出自「自我磨練的方法」


      「朝顔の花は

       朝の光を受けて咲くのだと思われていた。
「我認為牽牛花是受到早上的陽光而開花,
       しかし、ある物理学者が朝顔のつぼみに

       24時間、光を当てていても、花は咲かなかった。
但是,某個物理學家認為若是24小時對照射光牽牛花的花
蕾,牽牛花是不會開花的。

       朝顔の花が咲くには、朝の光に当たる前に、
牽牛花開花是在早上照射到陽光前,
       夜の冷気と闇に包まれる時間が不可欠なのだという。」
受到夜晚的涼氣及陰暗的時間是不可欠缺的。

                  『小さな人生論』より
出自「小小人生論」



September 6, 2007
Essence.983


         【 ピンチをチャンスに変える方法。】

危機變轉機的方法


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      「よく『ピンチはチャンス』って言うでしょう。

「有個好說法『危機即是轉機』不是嗎?
       だけど、どう考えてもピンチはピンチですよ。

但是如何去思考危機即是轉機。
       ただ、そこで逃げるか受けるかの違いです。
面對危機時僅僅逃避或接受它,那是個錯誤。」

       受けて立ったからこそ、乗り越えた時、
我認為面對危機,並超越它時,
       『ああ、あれはチャンスやってんな』と思える。」
「啊。啊,這是做到轉機了」。

             中井 政嗣(なかい まさつぐ。千房社長)





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             Today's message


         「人生は、エスカレーターと同じ。
「人生與電扶梯一樣

          1歩を踏み出すだけでいい。」
只要踏出第一步就好了。」

                中谷 彰宏(なかたに あきひろ。作家)



           「ふりむくな、ふりむくな、
「回顧,回顧

            うしろには夢がない」
後面是沒有夢想的」

             寺山 修司(てらやま しゅうじ。歌人・詩人)



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September 3, 2007
Essence.975


          【 すべてを光らせる方法。】

全體發光的方法。


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              「一人光る
一個人光明

               皆光る
全部都光明了起來

               何も彼も光る」
任何人都光明了起來。


          河井 寛次郎
        (かわい かんじろう・陶芸家。)




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             Today's message


      「隣に機嫌の悪い人がいたとき、
當身邊有不喜歡的人時,

       『どうしたの? 何があったの』
「怎麼了?有什麼問題。」


       って、機嫌をとっちゃダメですよ。
不行每個都不喜歡。

       あちらの都合で機嫌が悪くなっているのですから。
因為與對方的交往不合。

       たとえ隣の人がブスッとしていても、
例如身旁的人轉向

       人の機嫌をとらないで自分の機嫌をとるんです。
因為不對人厭惡,變得對自己厭惡。

       自分だけニコニコしているんです。
只有自己快樂的樣子。

       機嫌を悪くするのは『悪』なんです。
討厭是不好的動作是「惡」的意思。

       正しく、楽しく、毎日を生きている人が
每天正確地、快樂地過日子的人是

       『悪』に合わせてしまってはいけない。」
不會與「惡」契合的。

          斎藤 一人(さいとう ひとり。銀座まるかん創業者)

「あなたがそこに
只是因為你存在

             ただいるだけで

             その場の空気が

             あかるくなる
這裡的空氣變的光明起來

             あなたがそこに

             ただいるだけで
只因你的存在

             みんなのこころが

             やすらぐ
大家變得很安穩

              そんなあなたに

              わたしもなりたい」
我也希望成為這樣的你


                 相田 みつを(あいだ みつを。書家)