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目前分類: 2007年10月的文章    檢視方式: 列表 摘要
October 31, 2007
頁141
ができよう。
 終わりに、顕時の弟、鎮西探題となった実政、及び実政の子で、父のあとをについで鎮西探題となった政顕の花押を取り上げたい。まず実政の花押(図108)は終筆を、内巻き曲線を描きつつはね上げている点で、一応時政型に入れてよい。そして左端の三角形(図109の点線部分)を、花押作成上の補筆もしくは作為と見れば、この花押が「実」の「」を形象化して、やや左に傾け形であることは、動かぬところであろう。念のため、「」の草体の略形と筆順を示せば図110のようになる。次に政顕の花押(図111)であるが、これも花押作成上の補筆、作為と思われる部分(図112の点線部分)を除けば、骨格(図113)はほとんど父実政の花押と同じになり、「」を原拠としていることが分かる。すなわち政顕は彼の実名に拠らず、父の花押に修正を加えて、これを用いたわけである。
最後,是顯時弟弟實政成為鎮西探題及實政之子在其父之後也成為鎮西探題,是取材自政顯的花押。首先是實政的花押(圖108)最後一筆是漸漸向上內卷的曲線,大略是成為時政型較好的。左端的三角形(圖109虛線的部分),可能是作為花押的補筆,這個花押「實」是「」的形象化,漸漸有左傾,不更動。因為念,以圖110顯示「」的草書體的略形及筆順。其次是政顯的花押(圖111),也是花押作成的,除了作為的部分(圖112虛線的部分),骨架(圖113)大約是與其父實政相同的花押,依據「」可了解。即政顯不以他的實名,是以其父的花押加以修正。95.10.14
頁143
Ⅵ十六世紀武家的花押-143
Ⅵ十六世紀の武家の花押
頁144
 花押は自署から発しており、押署する本人を他と区別するシルシ(判)である。つまり花押は押署者の表徴である。従って花押は本来、人人ちがうはずであり、事実大部分がそうである。だが、ちがうといっても、ちがう中にもおのずから一つの類型にもとめてみることのできる花押が数多くあり、また、著しく類似した花押もある。このような花押の類似性、類型性が、全くの偶然の結果であるよりはむしろ、何らか、作為の結果である方が一般的であろうという予測に立って、作為の実体を考え明らかにすることは、花押史の中の一節、おそらくは花押の形の歴史の中心部分をなすことになるであろう。日本の花押史の中で、種々の意味で甚だ激動的であり、転換期として位置づけられるであろう十六世紀を中心に、花押の類似性、類型性の問題を考えてみたい。但し、この時代の花押全般を考察する力は筆者にはないので、ここでは、筆者がこれまで比較的関心を懐いてきた武家の花押だけを対象としたい。
花押是從自署發起,以區別本人與他人的簽名。總之,花押是押署者的表徵。從前花押本來是應是每人都不同,事實上大部分也是如此,只是以不同之中,又可自成一類型,大多數的花押成為顯著的類似花押。花押的類似型、類型性是全部偶然的結果,為何會有如此的結果,考量作為實體,花押史中的一節,恐怕是成為花押的歷史中心的部分。日本的花押史中,在各種意義中非常激動的,作為轉型期的位置是於十六世紀,應去考量花押的類似性、類型性的問題。可是,以此時代的全部花押來思考,筆者無此心力,因此關心的是武家的花押為對象。
頁145
 一新様式の発生
一 新形式的產生-145
 室町時代の武家の花押では、足利尊氏の花押に発する、いわゆる足利様の花押が隆盛をきわめたことは、広く知られている通りである。まずその例を数点あげておく(図1~4)。室町末、戦国時代、織豊政権期においても、伝統的な足利様を追うものの多かったことはいうまでもないが、そうした中で、いくつかの、足利様と決別した新様式が出てくるのを認めることができる。次にそれを四
室町時代的武家花押以足利尊氏的花押起發,到了隆盛時達到極致。首先舉出幾個例子(圖1~4)。室町末、戰國時代、織豐政權期不再是追隨著傳統的足利樣式,與足利樣式訣別的新樣式出現。試著四項要敘述。
頁146
項にもとめて述べてみたい。
 足利様について一言つけ加えるならば、一様に足利様と見られる花押の中にも、ただ足利様に追随しただけで、実名とは全く無関係に作られた花押と、足利様の形を追いながらも、実名の一字もしくは部分を含めて作られた花押とがある、ということである。今、後者の実例として尼子経久(図5)同晴久(図6)、毛利元就(図7)をあげておく。尼子経久・同晴久の花押には「久」の字が含まれており、毛利元就の花押には、その上半部に「元」の字が含まれている(元就のこの型の初期の花押を見ると、一層よく分かる)。こういう例は、鎌
就足利樣式而言,以一句話來說的話,與其一樣的花押,僅追隨足利樣式,與其實名全無關係所作的花押,追隨著足利樣式,也可能含有實名的一個字。在今天後者的實例尼子經久(圖5)、同晴久(圖6)、毛利元就(圖7),尼子經久、同晴欠含有「久」字,毛利元就的花押上半部含「元」字(元就是此型初期的花押可以更容易理解)。
頁147
倉時代の、北条の風靡した北条一族の花押にも認められるから、南北朝・室町時代を通じて、こういう作り方が、部分的にせよ存在したと考えてよいであろう。
此例在鎌倉時代,以北條氏一族的花押風靡的北條樣式,在南北朝及室町時代也如此,存在部分的作法。
  A実名文字の倒置・裏返し
A將姓名文字倒置及翻面-147
 近江北部の戦国大名浅井久政の花押(図8)は、全体の形を、下向き彎曲型ともいうべき当時の新型に準拠しつつ(下向き彎曲についてはなお後述)、その中に「久」の字の草体を左に倒して書きこんでいる。次に久政のこ長政の花押(図9)は、「長」の字を右に倒して形象化したものである。浅井長政ははじめ六角義賢の一字をもらって「賢政」と名乗ったが、やがて六角と絶って織田信長と盟約し、信長の一字をもらって「長政」と改名した。改名と同時に、従来の花押をすてて、この型の花押を用いるようになったようである。詳しくいえば、永禄四年(一五六一)閏三月九日にはまだ浅井備前守賢政と署して旧花押を用いているが(近江、称名寺文書)、同年六月二十日の書状には長政と署して、この新型の花押を用いている(図9は永禄六年十月八日付、成就院文書から採った)。このような実名の
近江北部的戰國大名淺井久政的花押(圖8),以全體形式是以向下彎曲型應該是漸漸為當時的新型式準據(後述向下彎曲型),其中的「久」字的草書體是向左倒的寫法。久政之子長政的花押(圖9)是形象化的「長」字向右傾倒。淺井長政開始含有六角義賢的一個字,以「賢政」為名,大約在與六角斷絕與織田信長結盟,以信長的一個字改名為「長政」,改名同時也捨棄以前的花押,改用此型。詳細說明的話,永祿四年(一五六一)閏三月九日淺廿備前守賢政仍簽署舊花押(近江、稱名寺文書),同年六月二十日的書狀簽署長政,改用新花押(圖9是永祿六夫十月八日付於成就院文書)。實名
頁148
一字を倒して花押を作る例は、遥かに溯って平安末期、久安四年(一一四八)四月十五日三春是行の花押(図10)に見出すことができる。これは東大寺図書館所蔵の東大寺文書に収められた是行の起請文に押署されていて、明らかに「行」の字の草体を右に倒した形である。してみると、こういう花押の作り方は中世を通じて存続したかもしれず、にわかに戦国時代新出の様式ともいいきれない感もあるが、現在のところ、中世に適例を見出せないので、ひとまず新様式に入れておく。
 実名文字の倒置と関連してあげられるのは実名文字の裏返しであって、織田信長の花押にその適例を見ることができる。織田信長は
中的一個字倒寫的花押例,追溯到遙遠的平安末期,久安四年(一一四八)四月十五日三春是行的花押(圖10),收在東大寺圖書館所藏的東大寺文書,為是行的起請文的押署,可明白是「行」的草書體向右傾倒。這樣花押的作法通行於中世且繼續存在,突然戰國時代出現新樣式,感覺不美,在現在的無中世的適當例子,進入與之前不同的新樣式。
與倒置實名文字相關是的是翻面的實名文字,以織田信長的花押是最好的例子。織田信長
頁149
頻繁に花押を改めたことで知られる人物であって、大まかに分類しても前後八類を数えることができる(図11~18)。すなわち信長は、父のあとをついでまず足利様の花押(図11)を用いたが(天文十八、九年〔一五四九、五〇〕頃)、天文二十一年になると、ここに取り上げる第Ⅱ型(図12)を用いており、以後頻々と形を変えて、ついに足利様に戻ることはなかった(信長の花押については奥野高広『織田信長文書の研究』下巻巻末参照)。さて、信長のこの花押の左部分は「長」の草体裏返した形である。残りの右部分は判然としないけれども、「信」の字を形象化したものの裏返しと見てはどうであろうか。もしそうならば、こ
是周知頻繁改變花押的人物,粗略分類前後有八種。(圖11~18)信長延續其父用足利樣式的花押(圖11)(天文十八、九〔一五四九、五○〕),天文二十一年時改為第Ⅱ型(圖12),之後一直改變,最後不回到足利樣式(信長花押參照奧野高広《織田信長文書の研究)下卷的最後。)信長的花押左部分是「長」的草書體翻面,雖然殘留的右半部不明確,可看出是「信」字的形象化再翻面。若如此的話,
頁150
の花押は「信長」の二字を左横書にして裏返した形となる。左横書、裏返しという二重の意外性をもつものとして、新奇、奇抜な花押の続出した当代にあって、一頭地を抜くと評してよいであろう。
 それでは、実名文字の倒置とか裏返しのような新奇な型を用いる主たる意図は何であろうか。花押の原拠を秘匿できる点や、ここにあげた浅井久政・織田信長の例に見られる如く、比較的短い線(極端な場合には点に近くなる)を多数み合わせている点などから考えれば、これらの型は偽造、盗用の防止を主眼として作成されたと見てようであろう。この解釈を裏付けるかのように、浅井長政は図9の花押に年を追うて小変更を加えて、次第に横長の方形に変えており、信長に至っては、Ⅱ型よりも一層短線と点の多いⅢ型(図13)、Ⅳ型(図14)へと移ってゆくのである(Ⅲ型、Ⅳ型が何もとづくものか、いまだ成案をえない)。
這個花押是「信長」二字左橫書再翻面。左橫書加上翻面這二個特別的書寫方式,是成為當代新奇的花押。
倒置實名文字或翻面的新奇型花押,其用意何在。花押的原來是要隱匿的,如淺井久政、長政及織田信長的例子可見,多數組合是用比較短的線條(近乎極端的狀態),這樣是為了防止偽造及盜用。以此為解釋的證據,淺井長政隨著年齡增長有小變化,改成橫長的方形,到了信長的Ⅲ型(圖13),比Ⅱ型更多短線及點再轉移到Ⅳ型(圖14)。(但是基於何因成為此型,無法得知)95.10.15 96.06.19
  B苗字の文字の使用
B使用家族姓氏的文字-150
October 25, 2007
大倉三郎,〈關於皇民奉公會中居住的決議〉,《臺灣建築會誌》,第14輯第1號,頁34~36。

頁34

眾所周知,皇民奉公會是以取決於早先來臺灣的居民生活改善,漸漸開始企劃及活動生活方式。其內容含有一般的生活層面、保健、衛生、衣、食、住等等,根據先前會長對建築會提出諮詢事項「諮詢關於確立現今時局下島民的生活新體制」,同時設立厚生委員會,由各種專業人士擔任委員。根據臺灣建築會成立的厚生委員會,其委員有正員大倉三郎、贊助員富士貞吉及臨時厚生委員正員安田勇吉三人,在最近的委員會中完成了政策的企畫,應儘快在會議中採決並具體的行動。
其中關於居住的事項與建築家的我們有直接的關係,應該要注意此點,因為在平常對此表達意見也很多,但並未公開發表內容,希望在建築會誌中刊載。在本文Ⅰ是對監督官方的期望。Ⅱ是對建築界的希望。Ⅲ及Ⅳ是對一般民眾的啟蒙事項。從接近皇民奉公會的主旨,到實際的推展運動,作為專業人士的我們應以此目的協同對一般民眾率先作啟蒙運動,其次相信是我們在國家及公職領域能發揮之處。 (編輯幹事記錄)

關於居住的事項
Ⅰ. 住宅政策
關於居住的問題是以往社會問題被討論的一環,但是在今天作為國民生活的基礎,必須思考作為國民生活的重要問題上,其健全成長是在增強國力上不可欠缺的。住居不單單是個人休息、保健的功能,應理解其作為國家一要素是國民生活之本鵡,因此必須率先在公益的、積極的企畫及建築。建立起住宅政策的觀點,一方面配合地方計畫、都市計畫、社會政策、衛生保健、建築技術、國防等,關於住宅問題必須樹立關於綜合的計畫。在政府機關中設置類似日本的厚生省住宅課,這是住宅政策所期望的。以下針對住宅政策舉出核心的幾個問題。
1. 衛生保建為住宅地組織作為目的:確立地方計畫,緩和過大的都市及人口集中,推展都市計畫事業是形成優良居住地的基本問題。這是儘快要去實施的政策。
2. 儘快指定都市計畫中住宅專用區域:

頁35
在都市計畫中以住宅安寧及衛生健康為目的,設立住宅專用區域,未指定為住宅用地則依現狀來看,可以成為住宅用地的話,要儘快指定為住宅用地。
3. 規劃都市中現存過於密集及不良的住宅:缺乏採光通風加上過於密集的住宅區域,在臺灣的氣候上是十分不衛生的,令人憂心,要將之規劃以利健康。
4. 確保健康住宅的供給數量:為對應人口的增加,強化住宅團體,以提供必要數量的健全住宅、共同國宅,並供給適切的衛生設施。
5. 制定類似防空建築規則:為了因應戰時防空之住宅,必須加速制定適合臺灣局勢的防空建築規則。
Ⅱ .住宅建築計畫
適合位於熱帶地區特有的風土氣候,而設計特殊建築計畫當然是必要的,特別注意採光、通風、防潮是生活衛生上最重要的,並且要能防日陽光直射、過熱、換氣以達到保健功效的特殊建築構造計畫,在建築上也要考慮廁所、浴室、廚房等的衛生設施是否有防腐、防蟲等耐久的問題是重要的課題。並且在建築材料、施工及相關的工程,應更加合理化。這些細項的指導內容在此省略,僅列記要項
6. 以健康住宅為實體本位:住宅不是以玩樂及風雅為對象,應排除無用的裝飾及不好的風俗,著重在家人的健全休息及衛生的合理、實質的健康住宅,此時裝裝潢應該簡單來發現真正日本的傳統風格。
7. 制定合乎臺灣標準的住宅:以右列的主旨來製定數種國民標準住宅,記載其要領於圖面上,並印於「小手冊」刊行並推廣普及。
8. 統一建築材料的規格及簡易化施工:以標準住宅為依規,統一建築材料的規格,強化工廠的生產過程,除了提供便宜且多量的建材外,並改善及簡化現場施工。
9. 獎勵使用持久的建材:為了因應防空、防火、腐朽、蟲害等,獎勵使用對於本島特殊風情的建築材料,如主體構造使用磚瓦等。
頁36
10. 對於建築相關技術從業人員的養成及再教育:以國民住居的標準規格 住宅設計施工為基準,宣傳、啟發及養其相關技術人員及工作人員相關要領。
Ⅲ. 針對居住來改善生活
1. 排除沒有科學根據及類似迷信的風水,因應合理的根據土地的狀況及建築的機能。
2. 避免誇張虛構的玄關、房間等,住居以家人生活為中心的明朗空間。
3. 寢室以類似日本建築之美,避免奢侈、煩縟,表現出簡樸無華的材質即是傳統的趣味。
4. 對於身為第二國子女應有專用且明亮、衛生的個人房。
5. 在廚房的設備配置是有利於工作效率外,要常留意採光及換氣。
6. 注意廁所、洗臉臺及浴室不可髒亂及潮濕。
7. 要定時清掃住居周圍的下水道,完全排除積水。
8. 設置防空躲避處外,也要考量簡易的防護設施。
9. 為了永遠保持住宅原貌,時常留意修理破損。
Ⅳ. 特別針對臺灣傳統住宅的改善策略
1. 為了能充分的室內採光及換氣,採光面積最低限是室內面積的十分之一以上,為了在室內一半以上可以換得外面的空氣,改造成有開口的樣式。
2. 寢室內的床直接接觸土地,為了防潮,木造的床應高60公分以上,以保持床下的通風及乾燥。
3. 寢室的天井,高約從床面250公分以上。
4. 屋頂及其他封閉的地點應設換氣孔。
5. 廚房設計清洗臺,取水的地方及作為床能耐水及排水的功能。在竈上設有煙囪。
6. 每戶人家要有一個廁所以上,並附上洗手臺。特別規定取水的方式,以合乎衛生設備。
7. 浴室設置泡澡盆,獎勵洗澡。
8. 獎勵飲水設備的利用,不中止飲用井水,但要合乎水質,說明淨水的方法。
9. 在住宅周圍設置下水道及內外都要有垃圾桶,才能保持清潔。

以上

October 24, 2007
頁41
 花押の場合も平安時代に発生し時代とともに形を変え、その意味も使用法も現代は大きく変わりつつあり、署名だくでなく、その文字文化の伝統を継承しながら、も芸術性としての特性、形象の美しさがロゴやパッケージなどにも使われるようになり、多様性は今後ますます広がるものと考えます。
自平安時代產生了花押,同時也改變其形式,這是指與現代漸漸不同,花押不僅是用於署名,隨著繼承傳統的文字文化也有藝術的特性,成為美的形象如標誌及包裝上的使用,今後漸漸的有廣泛的多樣性花押。
 これら花押とある部分共通したところがあります。漢字が表意文字であるのに対して、英文は表音文字で、その中に意志を含ませるとなると漢字と違い、崩し方というより、形象だけでなく色、大きさや、書く道具(ペンキ、スプレーなど)で表現の仕方に使いはありますが、意志の表現として参考になる部分もあり得ると思っています。
花押有其部分的共通性。漢字是表意的文字,英文是表音文字,英文所含的意志與漢字不同,如草書書寫方面,不僅是外形,書寫的道具(筆、噴霧器等)表現的方式也不同,意志的表現是漢字可獲得的部分。
書道で甲骨文字や金文など古代文字が芸術として捉えられたのと同じに、花押も今後その特殊性が別な見方で表現できることを期待しています。
在書道方面,甲骨文及金文等古代文字有其藝術性,同樣今後花押令人期待在其他方表現出特殊性。
頁42
2蘇った花押の主張
2復甦花押的主張
 花押の発達に欠かしてはならないことに漢字の持つ意味だけではなく、花押に託す人の精神と歴史があります。過去の花押を調べると地位、理想、将来の夢を花押に託しています。足利義政の「慈」、織田信長の「麟」の花押がその一例です。
花押的發達所欠缺的,不僅是持有漢字的意思,花押也有寄託人的精神及歷史。調查過去的花押,將花押寄託地位、理想及將來的夢。
 花押を自ら署すということは、将来の夢をその中に見いだすという自己啓発の効果があります。これは花押がもつ魅力のひとつです。
自己署名的花押,可見到將來的夢想,有啟發自我的效果。這是花押持有的魅力。
頁43
3伝統と継承
3傳統與繼承
 多様性をもちながら花押の基本は文字にあり、正しい崩し方の基本体を軸にしなければなりません。それが漢字の特性でもあり花押の持つ神秘と希望を作り上げていきます。
花押的基本是文字,也持有多樣性,其基本上是正確的草書方式。作為其希望,花押持有的神秘是漢字的特性。
 伝統とは人の歴史を背景に積み重ね、伝えられてきた思想、芸術などのことです。
花押作為傳統漸漸加重以人為歷史的背景,傳達思想及藝術。
 花押にも十世紀の伝統があります。その伝統を生かし、未来へと繋げていくことに意義があり、花押を制作する人は先人の残していった多数の遺産を受け継ぐ必要があります。
花押已有十世紀的傳統。這個傳統產生與未來有連繫的意義,創作花押者必須繼承先人留下多數的遺產。
頁44
第3章花押つづり
第3章編製花押
「花押つづり」…綴(つづる)全てを紐でつづりあわせること。
「花押編製」全部以紐組成。
 この世を授かり、人はたくさんの人とのつながりを持ちながら長い人生を送り、名前とともに歴史を創り上げていきます。その一つ一つに思い出の名前が刻まれながら……。
花押在世間產生中,長時期的人生與許多人相繫,與名字一同創造在歷史上。花押是一個個由名字來思考出來。
 幼稚園で書いたお絵かきのひらがなの名前、小学校で初めて書いた漢字の名前、入社試験で履歴書に緊張しながら書いた名前、初めてできた子供に幸せを願い付けた名前。どの名前にも思い出と歴史が詰まっています。
在幼稚園時,書寫平假名的名字,在小學時開始書寫漢字的名字,在進入公司的緊張考試中,於履歷書上書寫名字,孩子有了名字是幸福的開始。用何名字是要從歷史上來思考出來。
 そのすべてを糸で綴るように、「花押つづり」は人の歴史の思い出づくりと未来への夢を願って作りました。
全用線來書寫,因此「花押編纂」是從人的歷史來思考,
頁45
並成為走向未來的夢。
 明治末期、京都大学の古文書学専攻第一号の学生で、日本の古文書学者の一人者として知られる故中村直勝博士は生前ではいかなくともひととおり通用し得る、独特のサインを持つことは必要だと思うと話しておられました。
明治末期京都大學專攻古文書學第一號學生,眾所周知日本古文書學的的故中村直勝博士在生前用一點點心意注入普通庶民,但花押仍不得通用,必要持有其獨特的簽字。
 難しく複雑な花押を作るのではなく日常に使える花押を自分で作れば、書くときにも心がこもり、おしゃれな心配りが伝わることでしょう。
現代不用製作難又複雜的花押,要作成以日常自己使用的花押,書寫的同時要含內心,傳達高雅的心意。
頁46
1鑑
鑑(かがみ)-かがみ、かんがみる
1鑑
 自分の姿を映し自分の戒めの材料とする。盤に水を入れて姿かたちを映す。当初はお盆のようなものに水を入れ姿かたちを映していましたが、青銅ができてからは青銅を磨き姿を映しました。現代においては花押を書くことで自分を見つめなおすことも必要なのではないでしょうか。
鑑-鏡子,以前的手本來思考花押。
作為反映自己的姿態及勸戒自己的材料。鑑是指在盤中裝水,以反映出外形。當初用青銅製作似盆子的物品來裝水照映外觀。現代書寫花押,可反映及修正到自己,這不是必要的嗎?
頁48
2花押新書体
2花押新書體
 花押創生からの筆跡、残された資料も筆書きに対し、現代は筆、ボールペン、万年筆など多種の筆記具によって署名されています。書式も横書きなど多様になりました。用途もパスポート、社内でサイン、宅配の受け取りのサインから手紙、また契約書.閣議書などサインは一般から政財界まで益々その重要性を増してきました。花押はその中でオリジナリティーの表現法として漢字の持つ特性を生かした新しい形のサインの方向性を見出すことになります。
從花押創生的筆跡,殘留資料發現是以毛筆書寫,現在的的筆有原子筆、鋼筆等多種的寫字工具。有橫式書寫等多樣的方式來署名。在用途上有護照、會社的簽名,及收受宅配時的簽名,此外契約及內閣會議記錄等的簽名,從一般到政治財經界漸漸增加其重要性。作為花押中獨創性的表現法,產生新形簽名可看出來漢字持有的特性的。
 歴史の変遷とともに変化してきたを現代に合わせ、新たに創案したのが花押新書体および新花押です。
歷史變遷的同時,變化形態與現代結合,創出新的花押新書體及新花押。
 花押新書体、新花押は過去の「押字考」に見られる花押分類とは考え方を異にした花押作成を前提に、形からの作成法、使用目的に応じた作成法、精神性を重視した作成法などを考慮し創案しました。
花押的新書寫方式,與過去「押字考」花押分類方式不同為前提,從外形為作法,依使用目的為作法,及重視精神性的作法來考慮創意的花押。
頁49
 花押新書体:従来の花押書体とは異なり、その多様性に合わせ分類方法を変え分かりやすく花押制作に役立つよう創案しました。
 新花押:現代の書式に調和させ花押が持つ精神性を追求し、個人の意思、願望などを鮮明に表現し、用途に応じたオリジナル性の高い花押を創案しました。
花押新書體:與舊有的花押書體不同,組成多樣性的分類方法,可容易分辨花押制作的新書體。
新花押:持有追求精神及調和現代書寫方式的花押,,鮮明的表現個人意思的願望,有高的創新原作性的花押。
花押新書體
1天地明朝體
2明朝草名體
3一字草名體
4草名新體
新花押
1梵字花押
2七點花押
3花押寶鑑
4優雅花押
5性質花押
頁50
1天地明朝体
1天地明朝體
 従来の花押書体の明朝体の良いさと花押の心を残し、応用範囲を広げ書体です。上下に天地の横線「一」を配しその中に名前など文字の一部を草体など配した天地人の基本的な書体です。
舊有的花押書體的明朝體,殘留著良好花押的心意,可廣泛應用其範圍。上下是以天地橫線「一」來支配,上下天地線中間是名字草書的一部分,形成天地人的基本書寫體例。
全体的に安定性があり、最も花押らしい花押ともいえます。家康型の花押にあるように最後の横線の書き方でその印象は異なり中に入れる文字も名前の一部であったり、二文字を偏と旁に分けたりデザイン化した文字を入れたり、その花押としての良いさを残したまま応用が広く普遍の書体ともいえます。
最好的花押有著全體的安定性。家康型的花押最後的橫線書寫方式,與印象中不同,中間加入的名字的一部分,以二個字的偏旁來設計,
頁51
花押是好的遺留物,漸漸的廣泛應用於普遍書寫體例。
 専門的に、文字の画数、穴の数など。字画に合わせ陰陽を取り入れ作成することも可能です。
以專門的,加上文字的筆畫及留穴的數目等,採取合陰陽的字數作成花押。
源義経
 素直で実直、一途な義経の一面を出し一筆で書けるように若さと動きを強調。(『義』の上部と「経」の旁を使用)
用途樸素且實在,源義以一筆書寫,強調年輕的動感。(使用「義」的上部與「」的偏旁)
頁52
2明朝草明体
2明朝草名體
 漢字の美、草書体と仮名文字の美麗な姿を中心に流れるような美しさを中心に、地線を入れることで、安定と自由を表現した書体です。
漢字之美是以草書體及假名文字美麗的姿態為中心流露出來的美,在地線中表現安定與自由的書寫體例。
 足利尊氏に代表される武家花押の様式で天地明朝体の地の線を取り入れ且つ草名の良さを最優先し、日本の文字文化の仮名の流れを取り入れることで線の組み合わせ、余白の美しさを強調した平安朝の雰囲気がある花押です。
足利尊氏是武士花押的代表,書寫天地明朝體的地線及最優良的草名,及選擇日本文字文化的假名,在地線上組合,在平安朝的氣氛中強調余裕之美。
頁53
義経
義
 躍動と繊細さを兼ね合わせた部分を前面に出し、華麗さと優しいを表現(『義』の上部と「経」の旁を使用)
在前面部分兼併著躍動和纖細,表現出華麗及優雅。(使用「義」的上部及「」的偏旁)
頁54
一字草名体
一字草名體
 一見して、その花押が漢字一文字でかかれたように優雅に、も力強く、自分の意思、精神、願望なども盛り込み、漢字本来の良さを残したまま花押としての新しい形を作り上げた書体です。
初見此種漢字一字的花押,書寫如此優雅,又有力道,納入自己的意思、精神及願望,留下漢字優良的傳統,又依時代在花押上作出新的書寫體例。
 特に現代では文字とデザインのコラボレーションが進み漢字を芸術として考え進化された場合にも、その中に花押の良さを取り入れ文字に意志を持たせること主とした花押です。
特別是現代文字與共同設計,是作為藝術的漢字,要思考其進化的場合,在此中取花押良好部分的文字意志,是花押主要持有的地方。
頁55
義経
義
 数奇な生い立ちに生まれ生涯を送った義経の心葛藤を強さと迷いから表現。
在成長中受到紛亂命運的生涯中,義的心表現如葛藤般的堅強及困惑。
(『義』と「経」を重ね合わせて使用)
(「義」與「」的重組)
頁58
4草名新体
 花押独特の花模様でもあり、図案のようでもあり、自分の願望やテーマを形にし草書体とともに作り上げた意志を持った花押といえるゲラフィック的な書体です。
 絵画と調和、漢字本来が象形文字から成り立ったように、漢字の原点が形あるものなら、それを花押に生かすことは当然のことで漢字の原点を花押に取り入れました。
義経
運命にもてあそばれた義経。蝶のように自由に空を華麗に舞うことを望んでいただろうに。
(『義』の上部と「経」の旁を使用)
3新花押
3新花押
 1梵字花押
1梵字花押
 六~九世紀頃インドから中国を経て伝わったインド文字(梵語)の字体を梵字(サンスリット語を表記するための文字)といいます。梵字の書体を悉曇(しったん)と呼び、「成就吉祥」を願う意味があります。
六~九世紀時從印度經中國傳來的印度文字(梵語)體,稱為梵字。(為了記錄古代的印度話)。梵字書寫體例稱為悉曇,有希望「成就吉祥」的意思。
 この梵字の中に生まれ年により、守護尊を表したものが守護梵字として決められています。
在梵字中由年的守護尊者決定著守護的梵字。
 この本尊をあらわす守護梵字本尊を花押に取り込むことで、梵字の持つ神秘性、深遠な敬虔と共にに真摯に生きる鑑として真の自分の姿に立ち返り生涯の平和、成就、吉祥を願うものとします。
以花押表示本尊的守護梵字本尊,梵字持有神秘性及深遠的虔誠及產生真摯的的明鏡,以表現真正的自我,
頁59
希望成就吉祥及回到和平的生涯。
義経
義
 31歳で生涯を終えた義経を思い、その才能の開花と幸福をいざなう。
31歲生涯末期,義思考著期望幸福及開展才能。
(「義」の字の中に護り本尊文殊菩薩)
(「義」的字中加入守護本尊的文殊菩薩)
頁60
 2七点花押
2七點花押
 古くは江戸時代、徳川中期の一七三二年(享保十七年)大聖蜜院盛典による「印判秘訣集」にもあるように七点五位の法則に従い空穴(メド)の数などによる吉凶の相を用いることで生涯の福を願う花押です。
古早的江戶時代,根據德川中期1731年(享保十七年)大聖蜜院盛典,「印判秘訣集」有七點五位的法則,以空穴的數目來判定吉凶相,並許願有幸福的人生。
 五位とは(木火土金水)と(地水火風空)の五大の事を、七点とは左記の事を表します。
五位是指(木、火、土、金、水)及(地、水、火、風、空)等五大事。七點如左邊所載。
 1命運点:天の命により吉凶禍福。
1. 命運點:由天命來支配吉凶禍福。
 2愛敬点:いつくしみ敬い人との融和を図る。
2. 愛敬點:圖示融合了對人慈敬。
 3福徳点:善行を重ね福徳を得る。
3. 福德點:行善以獲得福報。
 4住所点:住居と生活の安定。
4. 住所點:安定住居與生活。
頁61
 5眷属点:佛に従い一族親族の安泰。
5. 眷屬點:依順佛陀求得親族的安泰。
 6知慧点:真理を明らかにし悟りを開く。
6. 知慧點:醒悟且明白真理。
 7降魔点:悪魔を降伏させること。
7. 降魔點:降伏惡魔之用。
 右記法則とは別に字画に合わせ吉凶を補うための荘厳点というのもあり、字画により様々な組み合わせの法則があり花押作成の上で大切な役割を持ち、古式にのっとり、非常に複雑で精神性の高い花押作成法です。
右記法則為了補足吉凶合別的字畫,有所謂的莊嚴點。由於字畫有各式各樣的組合法則,花押的製作是重要的事務,古代的花押是非常複雜且富有高精神性。
義
  激動の中で親、兄弟と別れなど、運命の急激な変遷を経てきた義経の心を想像し安泰と平和を切願。
(「義」と「経」を重ね合わせ字画等調整)
表現出其激動的筆畫與親人及兄弟不同,歷經了急激的命運,想像義的心是期望安泰與和平。
(重組「義」與「」的筆畫)
頁62
 3花押宝鑑
3花押寶鑑
 禅では悟りの象徴として円を描きます。この円を円相(えんそう)といいます。空、風、火、水、地の要素を一筆で書くと円になり宇宙体をも表す意味も含んでいます。
以圓來描繪出象徵頓悟禪理,這個圓指的是圓相。以一筆完成圓,其要素有空、風、火、水、地,表示含有全體字宙的意思。
 円相は角のない丸い円満な世界を目指すお願いを込めています。
圓相是沒有角的,納入期望圓滿的世界。圓相與梵字組合,圓相與五行的組合等,以圓相為中心的花押是重視花押的精神性,花押反映自己的姿態,含有作為反省及鑽研的食糧,是尊敬且偉大的花押。
 円相と梵字の組み合わせ、円相五行の組み合わせなど、円相を中心にした花押の精神性を重視し、自らの姿を花押に映し、反省と研鑽の糧とする尊大な花押です。
 真の宝(たから)は自らの中にあり、花押宝鑑はそれは引き出すための花押といえます。
真的珍寶是在自己的心中,以花押來引出自己的花押寶鑑。
頁63
義
 円相を背負い煩悩と様々な確執の中で生き抜き、短い生涯の中で自分からの才能を開花させた義経。願っていただあろう穏やかな日々を。
在背負著煩惱及各種不同想法中產生圓相,在短暫的生涯中,展現自己的才能。盼望每天都能安穩。
(円相に「義」と「経」)を重ね合わせて使用)。
(「義」和「」組合成圓相)
頁64
 4グレース花押
4優美的花押
 過去から現代に最も変わったことは署名が横書きになったことです。一般の書類をみても横書きの書類が多く、また書き込みスペースに対しても横書き用にスペースがとられ、宅配のサイン、クレジットカード、パスポートにいたるまで、横書きサインが当たり前の時代になりました。
從過去到現今最大的變化是署名改用橫書。一般文件橫書的情形很多,在書寫的空間中橫書用於宅配、信用卡及護照的簽名,是目前時代的簽名方式。
 そのなかでも書く文字には変わりはなく、花押の特性である草体からくる文字の連続性、省略されながらも文字としての範囲を崩すことなく、さらに花押のひとつの特徴でまある、文字に託した信条、願望などを織り込み時代は変わっても、花押の心はそのまま生き、反対にますます花押の良さが横書きの中に漢字を使うことで流麗されと書きやすさを加え、花押本来の姿を映した、時代が生んだ花押といえます。
在書寫的文字並沒有改變,並沒破壞從草書中書寫、文字的連續性及省略的作法,進而含有花押的特徵,在時代改變中也依賴文字來加入信條及願望,漸漸地產生花押的心。
頁65
在橫書中加入流麗與易於書寫的漢字,反映花押本來的姿態,是隨著時代演生的花押。
 英文の場合でもスペルの続け方、連続性にいて日本特有の仮名の連綿法を取り込み、和様英文といった感じに流麗な美を持たせ、漢字と英文が融和するように且つ、その中にも精神性を入れたり、漢字の一部を挿入したりすることで、単なるサインと異なるオリジナル性のある格調の高い花押になります。
在英文也有拼音文字的連續作法,取用日本特有的假名連綿法,有所謂的和式英文持有流麗之美,融合了漢字與英文,注入了精神性,加入漢字的一部分,與僅僅一般簽名不同,具有高原創性及格調的花押。
義
  時代を読み斬新なアイデアを駆使し新しいことに取り組む時代の先端を走る義経を想像。
(「義」の上部を横に寝かせ裏返し、「我」を縦に使い最後に「経」の旁を使用)
想像出義走在時代尖端,受時代驅使嶄新的想法注入花押的製作。
(取「義」上部,翻面橫書,縱書「我」,最後使用「」的偏旁。)
頁66
 5クオリティ花押
5品質的花押
 サイン時代は会社や個人だけの使用でなく、芸能界、スポーツ界や、個人的な趣味の世界など用途が増えるばかりです。そのような中、花押のデザインに自分にしかわからない意味を込めるなどして、オリジナルなものを持っても良いのではないでしょか。
簽名的時代中,不僅是公司及個人使用,不限定範圍增加了藝能、體育及個人趣味的世界用途。在花押的設計中加入自己無法了解的意思,並不是持有好的原創性嗎?
花押とサインのコラボレーション!それ自体が作品となるようなものであれば楽しさ倍増です。
花押與簽名的合作,作為自己的作品,增加其樂趣。成為自己僅有的象徵。
洗練されたデザイン、花押技法導入、職業上署名を重要視される方にとっては人格や職業、そして未来をつかさどる花押アートとして原点がここにあります。
重視洗練的設計、導入花押技法及職業上的簽名,由於人格及職業,花押是原本要擔負未來的責任。
頁67

義
 義経の生涯を通しての出会い、運命からなる生き方を一つ一つ重ね合わせて自由に羽ばたくことを願い空間を広くとり強さと内面の豊かさを表現。
透過義的生涯和對命運產生的人生態度,希望展現自由,在寬廣的空間中,表現出豐富的內心。
(使用「源義」)
(源義経を使用。)
頁68
第4章花押の作り方
第4章花押的作法
 雅趣あふれる花押をあなたも作ってみようと思いませんか?難しい作り方は別として、宅急便のサインや手紙にチョットした工夫をして誰でも作ることができる花押を作ってみましょう。
充滿雅趣的花押是如何作成呢?別於困難的作法,宅配及信紙的簽名,是誰能作成的呢,試著製作花押吧。
 実際にさまざまな花押の種類があり、筆書きとなると複雑になり書き方にも専門的な要素が含まれます。
實際上有著各種的花押,含有以毛筆書寫及複雜的書法專門的要素。
 ここでは標準的な花押として多くの人に使われている花押の中から天地明朝体の花押をペン字を前提にして作ってみましょう。
依標準的花押及多數人使用的花押來書寫,以鋼筆字的天地明朝體來試作。
 1花押の用途を考える
1考量花押的用途
 まず始めに手紙に多く使うのか会社の書類に使うのか、用途に合わせて書きやすさをどの程度にするか考えます。宅配の時のサインや会社内で手早く書けるくらいの難易度にするのか、難しくて良いから人に真似されないような花押がいいのか考えておきます。スペースによっても作り方を変えなければなりません。
首先以多數使用的信紙及公司的文件用途來思考。宅配時的簽名及公司內部緊急處理文件
頁69
的難易度,從困難及優良的不易模仿的花押來考量。必須根據空間來改變作法。
例A:「望月」
 筆跡も分かりやすく、書きやすく手軽にサインとして使えます。
例A:「望月」
輕易可辨視其筆跡,作為簽名容易書寫。
例B:「望月」
 筆跡が分からず判読が困難、当然書くのにもそれなりに練習が必要になりますがオリジナル性も高い。
例B:「望月」
不易理解其筆跡,及判讀困難,書寫必須練習,原創性也較高。
 2使う文字を選ぶ
2選擇使用的文字
 用途が決まった次に決めるのは花押に使う文字です。名前を使う、またはその中の一文字だけを使う、苗字を使う、まず始めに決めましょう。使う文字が決まったら辞典を引いて確かな崩し方(草書体)を調べます。草書体をしることは線の連続性、書きやすさを増す上で大切なことです。
決定用途後,其次是決定使用花押的文字。使用於名字,又僅使用一個字,姓是首先要決定的。決定使用文字的話,要引自辭典查出正確的草書體。理解草書體後,注意線的連續性及增加書寫容易性也是重要的。
 何種類も出ていたら、それを全部書き出てみましょう。たくさんありますね。二文字の場合、字画が多いようであれば組み合わせるために簡単な崩し方を選ぶのも良い方法です。偏と旁がある場合にはどちらかを使います。できればその漢字の持つ意味を調べ、全てに関連性を持たせ、制作する花押に深い意味を挿入できればさらにオリジナリティーが高まります。
要選擇哪種的話,試著將全部的字體寫出來。有不少的字體。二個字的場合,選擇的好方法是以筆畫多組成簡單的草書體。可以的話,查出漢字的意思,把握其全部的關連性,可加入製作花押時較深沈的意思,進一步有較高的獨創性。
 1の用途と2の使う文字の選択、時と場合によって順番が逆になる場合もあります。両方を頭の隅において考えていくと良いでしょう。
1用途和2的選擇文時,根據使用的場合,有依其順序,也有逆順的情形。兩方的角度都要思考是好的。
頁71
 使う文字が決まったら実際に書いてみましょう。(例として「望月」を使用)
使用的文字,決定於實際書寫時。(例「望用」的使用)
 まず初めに上下に線を書きます。
首先書寫出上下線的天地線。
 この中に決めた文字を書いて見ます。
在其中決定書寫的文字。
 自分の考えたイメージに合わせて線を省略していきます。
考量自己的組合圖示,省略線條。
頁72
 3書き順を考える(一筆書きが基本)
3書寫順序(基本上一筆完成)
頁73
 段々と花押らしくなてきました。ここで考えるのは一筆書きのように、一度ペンまたは筆を入れたら最後まで離さず書ききってしまうのか。途中何度かペンを離しても良いから、少しだけ複雑にしてよりオリジナル的なものをつくりないのか。但し、ここで大事なことがひとつあります。途中でペンを離しても、続けて書くのと同じような感覚で不自然な書き順にならないように作らなければなりません。最初から最後まで文字が一体化するように作るのです。
依順序完成花押。考量一筆完成,以鋼筆寫的話,直到最後都不離開書寫過程。書寫途中幾次的將筆離開書寫是好的話,比起僅僅較少複雜性,可期待作出原創性的花押。但是,有件重要的是,途中離筆,要與一筆完成有著同樣的感覺,沒有不自然的情形。從最初到最後有一體化的書寫感覺。
 4仕上げ
4修飾
 これで花押としての体裁はでき上がりました。次はこのデザインを検討します。全体を眺めてみます。これで良いと思うデザインができてから二~三日ながめてみます。日数をかけることで欠点が見えてきます。少しずつ修正していきます。そしてあなたの花押のでき上がりです。
作為花押,最後完成的修飾其體裁。其次是檢討其設計。試著檢查全體。以二到三日來檢視是好的設計過程。在這幾天中,可以發現其缺點。達到較少的修正,完成你心目中的花押。
頁74
第5章花押の書き方
第5章花押的書寫方式
 でき上がった花押が気に入ったように、自分で考えたようなイメージで書くことはとても難しいことです。格好良く、素敵に、印象に残るように書きたいものです。書き方によってそのイメージは大きく変わってきます。部分的に良くても統一感に欠けたり、大きく書いたの小さい狭く感じたり、不自然さや、ぎこちなさがあってはせっかく作った花押の良さを生かすことができません。
將氣注入完成的花押,要考量自己的書寫印象是很難的。書寫的花押要有很好的、合乎自己的印象。根據書寫方式,而有大大的改變。僅僅部分是好的,也欠缺統一的感覺,要粗筆書寫,細筆書寫會感到狹小且不自然,不順筆是不能完成好的花押。
 この章では、大切と思われるポイトをまとめ、具体的にどこに気をつけて書けば良いのか、書くときに注意することは何か、いつでも安定したバランスの良い花押を書くための方法をまとめました。そのポイトを身に着け、センスある洒落た印象的なオンリーワンの花押を書けるようにしましょう。
這章節,要圍繞在重要的印象上,具體的加上氣來書寫是好的,書寫時要注意什麼呢,結合持續的安定性及平衡性的書寫方法。書寫主要隨著於其自身的重點,感覺有灑脫印象而且是唯一的花押。
 花押だけでなく日常の文字を書くときにも使える要素なのでしっかり覚えておくと良いでしょう。
不僅是花押,在書寫日常的文字時,也要明確記住其要素。
頁75
 大きく二つに分けて考えてみました。
兩個大的區分要試著思考。
 1でき上がりをイメージする
1完成的印象
 書く場合にもっとも大切ののは自分の中で、花押ができ上がっているかどうかということです。こういうイメージなんだなぁーそれが大切です。ちょっとだけ書く前に目をつぶり、頭の中で書いてみます。その時に鮮明に書くことができるほど、上手く書けるはずです。イメージされた花押がそのまま形になって現れます。イメージを膨らませてみましょう。これができれば半分は書けたも同然と思ってよいでしょう。あとは技術的な問題になります。
在自我書寫的場合是十分重要的,花押完成嗎?所謂印象是很重要的。書寫前,閉上眼睛在腦中試著書寫看看。此時可以鮮明的書寫時,應該可以流利的書寫。作為印象的花押漸漸成形體。試著將形象漲大,可以的話,先寫一半也是同樣的道理。之後完成全部,只是技術性的問題。
 同じ花押を書いても書き方ひとつで自分が意図したイメージとは異なった花押になってしまいます。力強く書きたいのか、優しい感じにしたいのか、それとも素朴に自分らしさをでしてみたいとか、書く前に頭の中で想像を膨らませることです。不思議なことですが、とても重要なことです。そのイメージと文字が重なり合った時に納得のいく花押ができるはずです。このことは花押制作だけにかかわらず、人生においても自分の意志を持つ、強いては生き方をイメージするというメンタルな部分が隠れた才能、無から有を生み出すことにつながります。「書は人なり」という言葉がありますが、ここでもそれは「花押は人なり」といっても過言ではないのです。
在書寫花押的方法有個與自己意圖印象不同。強而有力的書寫、感覺優雅的書寫,要試著從樸素的自己表現出來,書寫前在腦中擴大其想像。出現不可思議的想像,是十分重要的。印象與文字
頁76
組合時,應該可以綜合出花押。不僅關於花押製作,還在持有自我意志的人生中,強烈的產生印象即是所謂精神上隱藏的才能,繫於從無中生有。有所謂「書寫成為人」的用語,當然以「花押成為人」也不是太過份的說法。
2バランス良く書く
2平衡是好的書寫方式
 実際に書いてみて、複雑な線が単調になったり、バランスが悪く見栄えが良くない、どうも散漫にみえるなど、始めには幾つかのポイントがあります。そのポイントを考えて見ましょう。
實際書寫看看,複雜的線成為單調的,沒有平衡是不好的外觀且散漫的,與開始時的思考無法簡單的書寫順利。好的外形是為了平衡書寫,有幾個要注意的重點。試著來思考這個重點看看。
1書き順
1順著筆書書寫
頁77
 複雑な線の絡みがあったり、線が途切れて何回かに分けて書かなければならない場合もあります。それでも筆順に無理があては。なりません。漢字の筆順も上から下、左から右というように一定の法則があるように花押を書く場合にも、その法則が成り立ちます。線がつながっていない場所でも書こうと思えば一筆書きでかくことができる。それが書きやすさの基本になります。
複雜的筆畫,使筆線在中途切斷,要知道應分出幾回,來完成這個花押,是指順筆無法完成的。漢字的筆畫順序是由上到下,從左至右,在一定的法則上書寫花押,這個法則是成立的。但是沒有連繫的線條,也可以一筆完成書寫,因此易於書寫是基本的條件。
2重さと強さの比重
2重及強的比重
 重さとは、強さとは。この場合太ければ重く感じる。反対に細く書いても重い印象がある場合があります。
重及強是指書寫時要有感覺重量,反對太細的書寫,要有重量的印象。
 強いまたは重い印象を得るための方法として
為了加強重量的印象的方法
図A:「鶴川」柔らか味のある線で外側の線を太く書き、安定感を持たせています。
圖A:「鶴川」
在柔弱的線中,外側以粗體書寫,有其安定感。
頁78
1太く書く(図A)
1粗體的字體 (圖A)
2細く鋭く書く(図B)
2細又尖的字體(圖B)
3角を立てる
3有角度的字體(圖C)
4鋭角的な曲線
4尖銳角度曲線的字體
 あります。この反対が柔らかさと考えて良いでしょう。この組み合わせを上手く使い分けます。誰でもできる方法としては、強い、柔らかいがそれぞれ対照的に組み合わせる方法が良いと思います。
反對使用僅以柔弱的字畫是好的。這樣的組合容易輕易的使用及辨別花押的字。誰都可以用此方法,粗體或柔字組合對照的方法是很好的。
3空間面積の比率
3空間面積的比率
 面積とは線の中の空間を意味し、線の方向で空間の大きさをそれぞれ変えることで、花押にゆとりを持たせることができます。(図D)
所謂面積是指在線中的空間(圖D)
図B:「鶴川」
圖B:「鶴川」
 部分的に強く書き、線に張りを持たせて強さを出しています。
部分以粗筆書寫,牽引出強烈感。
図C:「鶴川」
圖C:「鶴川」
 曲線でもとめ右端のみを鋭角に曲げ柔らかさの中に全体を締める部分を作っています。
在右方的銳角以曲線來曲柔其形,並組合成全體。
頁79
在線的方向上,可以有著各種改變的空間,使花押有餘裕的地方。
4線の交差と密と疎の関係
4線的交差與疏密關係
 線の交差の方向と重なりで空間に密と疎を作り、交差角度でイメージを変えることができます。(図E)
線的交差方向重心與空間的疏密,及交差角度可以改變花押的圖像。(圖E)
図D:「望月」
 カード用を横に長く広がりを持たせます。上下が狭く感じないように一画目を上向きに書きます。
圖D:「望月」
在紙版上書出橫長,使上下不感到狹小,並以一畫向上書寫。
図E:「望月」
圖E:「望月」
 全体に膨らみを持たせ、丸文字的イメージを円の組み合わせで作成してあります。
全體有膨脹感,以丸文字的印象組合成圓相。
頁80
5長さの比率
5長的比率
 長さには二つの考えがあります。(図F)
長有兩個要考量(圖F)
1直線で長く書くー安定感が増します。
1書寫長的直線,增加安定感。
2曲線で長く書くーゆとり感がまします。
2 書寫長的曲線,增加留白空間。
6全体の調和(図G)
6調和全體(圖G)
 書き方の最後になりました。とにかく全部を書いてみましょう、強弱、密疎、面積の大小、長さの変化など、それぞれの要素の調和をとりバランスを図ります。
最後書寫的方式,總之全部試寫看看。
図F:「望」
圖F:「望」
 中に直線を入れることにより書くときの不安定感を少なくしています。
其中以直線書寫,可減少不安定感。
頁81
 どうずすか?上手くイメージした花押が書けましたか?
要調和各種相關要素,含強弱、疏密、面積大小及長度的變化,取得花押字體的平衡。
如何製作花押呢?花押的書寫應是易於上手的圖像。
 筆、ペンと筆記用具は異なっても全体の調和の取り方は同じことです。
雖然有不同的書寫工具毛筆、鋼筆,但取得全體調和的方向是一樣的。
 漢字の字源を調べることにより、奥の深い花押を作成することができます。
要先調查漢字的字源,才能作成深奧的花押。
図G:「望月」
圖G:「望月」
 曲線、直線を組み合わせ、その方向角度、大きさを変えています。三筆で書き終えています。ペンを離して書く場合は3回までが最も書きやすく、人のリズムに合っています。全てを継げた場合も考慮にいれてあり、一筆で書くことも可能です。
組合曲線、直線,並改變其方向及角度,以三筆書寫完成。離筆以三個回合,是最容易書寫,可合乎其明暗起伏。
但在全體來看,仍應考量以一筆完成的可能性。
頁82
第6章花押の使い方
第6章花押的使用方法
1署名としての花押
1作為署名的花押
 署名としての花押から一歩抜け出て、その形象を考えたとき、シンプルな線、形、流れるような華麗な美、小さな花押の中に広がる大きな世界。古文書の中の貴重な花押から一歩抜け出て、別な道を歩み始めることも花押にとって良いのではないでしょうか。
在小小花押中有著廣大的世界,因此作為署名從花押脫離出來時,應考慮其形象,流露出單純的線、有著華麗外形之美。從古文書中將貴重的花押脫離出來,走向別的道路,是不好的嗎?
 花押本来の目的と意味を考えつつも、もっと身近に日本の文化を感じいろいろな分野で利用しても良いと考えます。
漸漸思考花押原本的目的,會越來越感到接近日本文化
頁83
,並在各種分野來利用花押。
A:身近なところから
A:從自己附近開始
 手紙の末尾に、持ち物に書く名前に、クレジットかーどや各種カードの署名に自分だけがわかる花押を書き、慎ましく知的な人柄を忍ばせるのも良いでしょう。
用僅以自己可理解的花押書寫名字在信紙的末尾及所有物,及用來署名於信用卡及各種卡片,可以隱藏謹慎豐富知識的人格是很好的。
B:自分史の歴史の証明とぢて
B:證明自己的歷史
織田信長のように自分史の区切りに花押を変えて人生の軌跡を残すこともできます。
如織田信長改變其花押,殘留人生的軌跡中,以區分自己的歷史。
C:仕事に生かす
C:從事工作
 社内でのサインなどこれからのサイン時代に合わせ、各自がオリジナルなサインを持つことは自分の誇りでもあります。
在公司內的署名,以合乎簽名的時代,可對自己持有原創性的簽名感到驕傲。
頁84
1商品として花押
1作為商品的花押
A:社会の商標、社章
A:作為會社的商標、社章
 発展と歴史を表現した商標、社章は花押ならではのものです。神様との対話を基にして作られてきたといわれる漢字を生かし、商標、社章として代々その功績を受け継いでいくことが、花押では表現することができます。
表現發展歷史的商標、社章的花押。,產生的漢字,基於與專門的知識及技術對話作為商標、社章延續著歷代的功績,可以由花押來表現。
Bデザイン性を重視して
B:重視設計性
 デザインの新鮮さ、その奥深さ。和の原点を生かしTシャツなど衣料デザインとして、イラストとのコラボレーションなど、その応用は限りなくあいります。
新鮮且深奧的設計是產生和的原點,在衣服等衣料的設計上,圖書及廣告的插畫,皆可應用不限其範圍。
頁85
C:グッズに利用
C:商品的利用
 ワンポイント的にあらゆる場面に使うことができます。
花押唯一的特色,是可以在各種場合使用,用細小的設計引起人們的注意,並透過改變花押的用途,使其漸漸從特殊的世界脫離進入社會中。
商品包裝的花押、衣服的設計、公司的標誌及商店的商標,與署名有了分野,於是開始有自己的主張。
頁94
3花押的藝術
A:追求藝術之美
B:莊嚴的藝術
C:精神性的表現手法
整理文字及整理總合文字設計,使線與空間能調和。花押是在小地方中含有複雜的要素。作為人生指標的花押,今後期待的是有著精神性的藝術。
95 08 27初稿
October 24, 2007
望月鶴川,《花押のせかい》,株式会社朝陽会,2005年6月第1刷。
頁六
前書き

花押(かおう)-この言葉を聞いたことがありますか?なんと不思議な響きを持ち、いかにも日本的で神秘な趣を持った心に染み入る心地よい言葉だろうか。
 旅先で立ち寄った資料館などで古文書の末尾に一見、花のように書かれた署名を見たことがあると思います。その花のような署名(サイン)が平安時代から伝わる日本独自な花押という署名のことなのです。
 人は世に生まれてきた時に最初に自分だけのものを得ます。親には生まれてくるこの意思に関係なく決められることがあります。それは名前を付けることです。その名前には一生を平和に、幸せにと数々の両親のお願いが込められています。花押は自署から始まる日本人の心を映した署名。
花押這樣的用語是否聽過呢?這樣的用語是有著如此不可思議的回響,它是擁有日本神秘的趣味,並注人心的用語。
在旅途中附近的資料館,發現古文書的末尾,有著如花般的簽名。這個如花般的簽名是自平安時代傳來,成為自日本獨自的花押。
人出生於世界,名字是最初自己僅僅所擁有的東西。這個附加的名字(花押),與雙親所生下的孩子沒有決定的關係。在生活中,見到自己的名字可以分別出好與壞。許多雙親的願望注入這個名字,是希望一生和平及幸福。開始製作自己花押是反映日本人內心的簽名。
頁七
 花押には署名としてだけではなく、意志、漢字文化、人の歴史が詰まっています。古文書の中の花押を身近に引き寄せ、花押の書き方、使い方までのすべてを考えて見ます。
 「芸術は爆発」とは岡本太郎さんの言葉ですが、花押を一度破壊、再考し、花押の持つ精神性と漢字文化を継承、ビジュアル的に新しい創造を加え現代に生かすことができれば幸いと考えます。
 買おうが初めてという人にわかりやすく書きました。
花押不僅僅作為簽名,也含有意志、漢字文化及人的歷史。古文書中的花押是寄附於人們,因此要試著全面思考花押的書寫及使用方法。
岡本太郎曾說「藝術是爆發」,再次思考花押一度受到破壞,花押的精神是繼承了漢字文化,可以加上現代新創造的視覺性是幸福的。
花押初期是人們容易了解及書寫的。
花押のせかいー目次
花押世界 -目次-
まえがきー6
序-6
第1章花押を知るー14
第1章了解花押-14
1花押の創生―16
1花押的創作-16
2歴史上人物と花押―24
2歷史上的人物與花押-24
3花押の書体-34
3花押的書寫體例-34
第2章現代に生きる花押―39
第2章現代的花押-39
1新しい自己主張の形式―39
1主張自己的新形式-39
2蘇った花押の主張―42
2復甦花押的主張-42
3伝統と継承―43
3傳統與繼承-43
第3章花押つづりー44
第3章花押的編纂-44
1鑑―46
1鏡子-46
2花押新書体―48
2花押新體裁-48
天地明朝体―50
天地明朝體-50
明朝草名体-52
明朝草名體-52
一字草名体―54
一字草名體-54
草名新体―56
草名新體裁-56
3新花押―58
3新花押-58
梵字花押―58
梵字花押-58
七点花押―60
七點花押-60
花押宝鑑
花押寶鑑-62
グレース花押―64
優雅花押-64
クオリティ花押―66
性質花押-66
第4章花押の作り方-68
第4章花押的作法
1花押の用途を考える
1花押用途的思考
2使う文字を選ぶ
2選擇使用的文字
3書き順を考える(一筆書きが基本)
3考量筆順(基本上一筆書寫)
4仕上げー73
4修飾-73
第5章花押の書き方―74
第5章花押的書寫方法-74
1出来上がりをイメージするー75
1圖像的完成-75
2バランス良く書くー76
2平衡的書寫-76
第6章花押の使い方―82
第6章花押的使用方法-82
1署名としての花押―82
1簽名的花押-82
2商品としての花押―84
2商品的花押-84
3花押アートー94
3花押的藝術-94
花押摩訶(まか)不思議-95
非常不可思議的花押(花押介紹)-95
あとがきー111
跋-111
資料提供 參考文獻-113
望月鶴川的簡歷-114
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第1章花押を知る
第一章了解花押
 花押―いつの時代から、そのように呼ばれていたのだろうか。
 古くは伊勢貞丈(いせ だたけ)(江戸時代の有識者)の「押字考」に花押について書かれています。欧米流にいえばサインということになり署名のことであります。
 日本の内閣制度の閣議の項(二)閣議の開催の中に、花押について次のように記されています。(以下総理府ホームページより引用)『早急な処理を要する案件については、閣議書を持ち回って各大臣の署名(花押)を求め、それによって閣議決定が行われることがある、これを『持ち回り閣議』という。
花押是從哪個時代開始有此稱呼呢?古早時伊勢貞丈(江戶時代的有識之士)書寫了關於花押的「押字考」。而有所謂歐美流似署名的簽名。
日本內閣制度中內閣會議記錄項(二)在會議開始中,依次書寫花押。(以下是引用總理府的網頁),「以傳送來表達意見的內閣議案」就須急速處理的案件而言,將內閣議案傳送過程,要求各相關大臣花押,是根據內閣內議決定施行。
「持ち回り閣議」
「以傳送來表達意見的內閣議案」
 戦前の持ち回り閣議は、飴色に塗れれ真中が赤く、そこに内閣総理大臣殿、内
二次戰前的以傳送來表達意見的內閣議案,在中心塗上類似糖飴色的紅色,並以黑漆寫上內閣總理大臣、內
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閣書記官長殿、内閣書記官殿と黒い漆で書かれてある箱と各省大臣の官名が連記されている箱の二種類の赤箱があり、内閣書記官がこの箱を持ち歩いて閣議書に署名(花押)を得ていた。』
閣書記官長、內閣書記官的箱子,另有書寫各省大臣官名的紅色箱子,內閣書記官拿著裝有內閣議案的箱子去取得議案上的花押。
 花のような形をしていることから花押を呼ばれ、まさに言い得て妙です。人の歴史、国の歴史にも花押は人知れずかかわりながら時代を見つめてきました。
如花般的形式,故稱為花押,的確是說的很妙。花押隨著時代在不被人知的歷史及國家歷史中被發現。
 花押は日本が誇る精神性を含む漢字文化の伝統といえるのではないでしょう。そして今、その花押が伝統を継承し新しい息吹ので花開かせるときがきたのです。
花押並不是所謂含有漢字文化傳統的誇大日本精神嗎?到今天,花押繼承傳統,在新的氣氛中開花。
1花押の創生
1花押的創作
 それでは実際に使われてきた花押を創生期からいくつか見てみましょう。
 花王の発生は中国にあり六朝時代の晋、または唐の時代とする説もあります。
實際使用花押的創始時期,有幾個例子可發現。花押始於中國六朝的晉,另有唐代的說法。
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 日本においては平安時代に入り文書の中に実名を草書体で連続して書いた自署が花押の起源と考えられます。その後、日本で独自に発展し存続してきました。その理由のひとに、遣唐使派遣の中止によりに唐から文化の流入がなくなった。ことも、花押が独自に発展した一因とされます。
在日本花押起源於平安時代,古書中連續以草書寫下自己的名字。之後,日本獨自發展花押。其因之一是中止遣唐使,使唐代文化無法傳入日本,花押因此獨自發展。
 平安時代の日本三蹟、小野道風(おのーのーとうふう)、藤原佐里(ふじわれーのーおけまさ)、藤原行成(ふじわらーのーゆきなり)などの文書にも花押がみられます。
 実名の草書をもとに組み合わせたり省略したり、普通に草書で名前を書く(草名)のとは異なった工夫が見られます。
 そしてこの花押を使用する人は当然ながら文字をしる公家に多く一般農民などは指の長さを書く「画指(がし)」○や△などの簡単な書き方も花押の代わりの署名として遺言状などにも用いていました。
日本平安時代的三蹟,指的是小野道風、藤原佐理及藤原行成,在他們的書籍中可見到花押的書寫。
以草書寫下自己的名字的部分用字組合,與一般用草書寫的名字不同,花押可以見到這樣的藝術。
使用花押當然是認識字的政府官員較多,一般農民以指長書寫「畫指」,○及△等簡單地代替花押的簽名,也用於遺書上。

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畫指-右
如圖示男性以左手,女生以右手食指指節。
略押-左
農民的花押
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 鎌倉時代は武家社会の発達とともに文書の発給も増え、花押を書く機会が多くなったことから、主従関係を中心にその形状、作成法にも類似した花押が多く見られます。
鎌倉時代武士社會發達的同時,也增加了給付的文書,因此增加了花押書寫的機會,以主從關係為形狀的中心書寫方式,類似花押的形式相當多見。
 室町時代は足利(あしかが)様式など一族の統一したスタイルを持つ武家花押に加え、地位、身分を表す公家花押が出現し、使用文字、作成法に新しい変化が出てきました。
室町時代以持有武士花押的足利一族統一後為樣式,變化新的使用文字及方法,出現了代表地位、身分的朝廷式花押。
 安土桃山時代、江戸時代は織田信長(おだーのーぶなが)のように生涯何度も花押を変えたり、徳川家康(とくがわーいえやす)を中心とした徳川判ともいわれる様式が多用されました。また伊達政宗(だてーまさむね)のように鳥の「鶺鴒」を書いたと思われる花押が出現するなど、花押にも時代に伴いさまざまな変化が見られるようになりました。
安土桃山時代、江戶時代由於織田信長生涯改變了花押,以在德川判文中多以德川家康為中心。到了伊達政宗出現以鳥形的「鶺鴒」花押書寫,花押隨著時代可出現各種變化。
 署記法も鎌倉時代は姓の下に花押を書き、室町時代は名の下に花押を書き実名と花押を併記することで文書の威厳を誇示しています。力強い武士の花押、品
鎌倉時代署名方法是在姓氏下花押,室町時代是在名字下面花押,與自己的姓名一起書寫是為了表現公文書的嚴謹。有著力道強的武士花押、品格高尚的朝
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格のある公家の花押と書風にも特徴があります。
 古文書の研究上、花押は文書を保証するもので欠くことのできない重要な役割を果たしています。
廷花押的書寫風格。
古文書的研究上,花押是保證文書不可欠缺的重要的證據。
足利尊氏(あしかが たかうじ)
足利尊氏
最も形が整い、美しいとされています。足利様式の中心になる花押。花押のみが清墨を使い尊氏の自筆といわれています。
有著最整齊又優美的形式。以足利模樣為中心的花押。足利尊氏自身僅以清墨來書寫花押。

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足利尊氏(あしかが たかうじ)花押
足利尊氏 花押
 室町幕府初代将軍、足利尊氏の年齢別の花押。足利様(あしかがよう)といわれ、長い間武家の花押として隆盛しました。
室町幕府第一位將軍足利尊氏,有著依年齡不同的花押形式。所謂足利樣式是長期興盛的武士花押。
 底線の仰角度、右へ大きく張り出す曲線の書き方に変化が見られます。
底線的仰角度,右邊書寫大大的突出曲線,是足利尊氏依年紀有不同的改變。
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2歴史上人物と花押
2歷史上的人物與花押
半切法を用いた花押。
以半切法書寫的花押
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半切法:漢字二文字の上の漢字(父字)と下の漢字(母字)から一つの読みを作る作成法。
半切法是:漢字二個字以上,上面是父下面是母,合成一字的作法。
分解秀吉的「秀」(しゅう)「吉」(きつ)。「秀」的起始音(し)加上「吉」的韻(つ),合成(しつ),再變化作「悉」(しつ)。
秀吉的悉是指「不留、盡力、全部」,表示將天下納入自己的權威下。
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織田信長(おだーのーぶなが)「麟」
織田信長的「麟」
 幾つものの花押を使用した信長が一五六四年頃に用いた花押。中国の想像の動物。聖人の前に現れるといわれています。
在一五六四年信長使用了幾個花押。麟是中國想像中的動物,會出現在聖人面前。
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家康
家康
天地の線を基調に作られています。徳川判とも呼ばれ江戸時代の主流をなした武家様式の花押。
以天地線為基調來完成。成為江戶時代的主流,被稱為德川判的武士形式花押。
 五位の法則により作られているとの解釈もあります。
根據五個法則來完成。
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義経(よしつね)
義經
 数少ない義経の二十六歳(壽永三年)壇之浦戦いの前年に書かれた花押。
這是義經在二十六歲(壽永三年)壇之浦戰爭前年書寫的花押。
 右側に巠の部分が使用されているのがわかります。
右側使用部分的巠。
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「伊達政宗(だてーまさむね)」
「伊達政宗」
 一五八二年太閤検地による武器の取り上げ、年貢増税の反発から各地一揆が勃発し政宗も一揆討伐を試みていたが、反対に政宗がその一揆を扇動していると訴えられ秀吉から召集を受けた際、その書状に書いてある政宗の花押「鶺鴒」の目には穴がないので、この書状は偽物であると無罪を証明したことで有名な花押の話です。
 政宗はこの「鶺鴒」の花押以外にむ数種類の花押を使っています。
根據一五八二年豐臣秀吉施行的檢地措施,沒收武器及增加年貢稅,引發各地的急速造反,訴諸反對秀吉的政宗扇動召集的書狀,政宗的花押「鶺鴒」眼中沒有空穴,因此這個書狀是偽造的,成為無罪證明,是有名的花押。
政宗在「鶺鴒」之外的花押,也使用數種的花押。
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『宮本武蔵』(みやもと むさし)
「宮本武藏」
 晩年九州熊本城の細川忠利の客人になり絵画や工芸、そして丘法書「五輪書」を書きその時の花押を見ると、細川忠利の影響を受けた花押になっています。
宮本武藏晚年,成為九州熊本城細川忠利的客人,從事繪晝及工藝,當然書寫兵法書「五輪書」上的花押,可見受到細川的花押影響。
 家康型の花押の明朝型が広く使われた時代でもあり天地の型が使われています。(信玄「花押」)
家康型的花押廣泛使用明朝體,也有使用天地型。(信玄「花押」)
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花押の型紙
花押的型紙
 武家社会では祐筆(右筆)家が本人に代わり文書、花押を書くときも多く下記のように型紙をしようする例もあります。
 紙で切り抜いた花押の型を紙の上に置き細い筆で縁取りをした後、墨で塗りつぶして花押を書くのに使っていました。
武士社會中有祐筆代替本人書寫文書,書寫花押多使用型紙。
 型紙の縁に墨で塗った跡が見られるのと型紙に誰の花押かわかるように、小さく名前の一部の文字が書かれています。
在紙上裁下花押形狀的紙,用細筆描下外緣,以黑墨塗滿花押來使用。
可以見到型紙的外緣以黑墨塗上的痕跡,由書寫的名字一小部分文字來知道是誰的花押。
頁32
『伊藤博文』(いとう ひろぶみ)
「伊藤博文」(いとう ひろぶみ)
 初代内閣、伊藤博文の花押は名前より「博文」の草書体をそのまま使い、分かれやすい草名になっています。
初代內閣的伊藤博文花押,由其名字的「博文」草書體書寫,容易去知道他的草名。
 点線より上の部分が「博」、下の部分が「文」の草書体です。「博」の寸の点と文を重ね合わせ上部を密に下部を疎にしてゆったり一文字のように見せています。また書き順も自然に流れるようになっています。
點線上部分是「博」下部分是「文」的草書體。
「博」的寸上的點及「文」上的點重新組合,上部較密而下部疏,成為一個文字。自然流現書寫流順。
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 二つの漢字を組み合わせた例として医師より政界に転じた後藤新平(ごとうーしんぺい)があります。
 この場合は「新」旁の下部を大きくとり中に「平」を組み込むという、手法をとっています。
「後藤新平」(ごとう しんぺい)
後藤新平是從醫生轉而從政,以二個漢字組合成的例子。
取「新」的偏旁下部和「平」組成。
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3花押の書体
 様々花押があり、それぞれに作り方、形も違いましたが、これを前述の江戸時代の伊勢貞丈が「押字考」で花押に五体ありと説明しています、ここではその見方から考察してみます。
3花押書寫體例
有各式各樣的花押,作法及形式也不一樣。前述江戶時代的伊勢貞丈「押字考」,說明了花押五種形式。在此來考察其形式。
1草名体
1草名體
 自分の名前を草書に崩し、簡略化する。
以簡略的草書來書寫自己的名字。
小野道風(おのーのーとうふう)
小野道風
 『道』の草体を上部に、下部右に「風」をつなげて作成してあります。
 「道」が「風」を包み込むようにまとめています。
上部是「道」草書體加下部「風」的草書體作成。
「道」包含於「風」之中。
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2二合体
2二合體
実名の中の二文字からそれぞれの一部を組み合わせる。
名字中的兩個字取其一部分組成。
源頼朝(みなもとーのーよりとも)
源賴朝
 頼朝の「束」と「月」を組み合わせて花押化してあります。
賴朝是「束」與「月」組成的花押化。
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3一字体
3一字體
 実名の中より一文字、または任意の一文字を使ったもの。
由名字中的的一個字,也可以用任何一個字作成花押。
  足利義政
足利義政(あしかが よしまさ)
 「慈」の文字から作ってあります。室町将軍の公家様の花押として「慈」を用い、義満、義教は「義」の文字を用いています。
以「慈」作為花押。室町將軍的朝廷以「慈」字作為花押,義滿、義教以「義」字來作花押。
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4別用体
4別用體
 文字には関係なく鳥の図柄を表したりその形象を使う。
與文字無關,使用鳥的圖形表示。
 三好政康
三好政康
 鳥の形を用いています。伊達政宗、徳川光圀(とくがわみつくに)もこの別用体を使用していました。
用鳥形。伊達政宗、德川光圀,也是使用別用體。
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5明朝(みんちょう)体
5明朝體
上下に「一」を配し、その間に姓名の一部を取り込んだもの。
上下以「一」來書寫,在其間取姓名的一部分加入。
徳川家康(とくがわーいえやす)
德川家康
 家康を中心にして江戸時代全盛の花押で、明の太祖が用いたことに由来しているといわれています。一般にも普及しました。
江戶時代的全盛時花押,以家康為中心,因為明太祖使用而有此說法。一般來說是普及使用的花押。
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第2章現代に生きる花押
第2章產生於現代的花押
1新しい自己主張の形式
1新的自我主張的形式
 TVや雑誌、街中で高架下や壁に落書きされているズレー書いた文字のような絵のようなものを『タギング』といいます。
在電視、雜誌及街上的高架及牆壁書寫的文字,像繪書般稱為「塗押」。
 景観を損ない迷惑なことでうが、中には目を見張るような素晴らしいものもあります。発祥はアメリカでグラフィティのひとつで一九六〇年代にニューヨークでタイムズ紙を紹介されてから急速に広まりました。
不損害景觀,而令人感到迷惑,注視時會產生驚豔。1960年代在紐約雜誌介紹一個在美國發祥的塗押下,急速的推行塗押。
「」(タグ)名前あだ名を意味することからタギングといわれています。壁などに文字や絵を描くことで自己主張をしています。
 自己主張をする、大きな意味では自分の名前や所有を主張したりグラフィックとして花押が文字の精神性を重要視したものとの違いはありますが、自己主張という考えでは共通した部分もあります。
「TAG」的名字是指塗押。在牆壁上寫下或畫上自己主張的文字及圖畫。自我主張乃較大的含意是指主張自己的名字及所有的塗押,
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是與重視文字精神的花押不同的,但在自己主張是共通的部分。
(注1)
グラフィティ:落書き、壁などになぐり書きされた政治的、社会的なスローガンなどの意味、イタリアごのgraffiの複数形から…広辞苑より
廣辭苑說明:塗押、以亂畫的形式書寫政治及社會性的標語,義大利語的giaffi是複數形式。
October 18, 2007
頁121
たわけではあるまい。長時の子で六波羅探題となった義宗の花押(図42)は、前掲宗方の花押(図27)との類似に注目すれば、「宗」の形象化と見てよいであろう。それを図43で実線をもって示す。あるいは点線AとBを「小」の左右の点を変形したものと見て、この花押全体で「宗」を表わすとも見られる。次に義宗の子で、永仁(一二九三―九九)の頃六波羅探題をつとめた久時の花押(図44)は明らかに「久」字の形象化である(図45で実線をもって示す)。また、久時の子で、鎌倉幕府最後の執権となった守時の花押(図46、山内首藤文書、正中二年〔一三二五〕関東裁許状の継目裏)も「守」字の形象化であろう(点線
長時之子義宗在成為六波羅探題時的花押(圖27)應注意其類似的地方「宗」的形象化。圖43實線來表示,或虛線A和B是「小」的加點變形。全體是表示「宗」字。義宗之子在永仁(一二九三-九九)時任職六波羅探題的花押(圖44),可明白是「久」字的形象化(圖45以實線表示)。久時之子守時在鎌倉幕府最後執權的花押(圖46山內首藤文書,正中二年〔一三二五〕關東判決書的簽名)是「守」字的形象化
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より左の部分に注目。
 泰時の弟(義時の四男)政村の系統には、判読可能な花押は少ない。時政型の花押として判読できるのは、政村の子時村の初期の花押(図47)くらいである。これは今まで見てきた多くの時政型の花押とちがって、終筆を大きく真右に張り出した点に特徴があって、この点が「村」の草体(図48)と一致するところから、「村」を元にした花押と判断される。おそらく左の長い縦線と右終筆の半円形とで「村」を表わし、中央部の点線で示した部分(図49)で「日」を表わしたものであろう。左端の小さな縦線が「村」の第一画「一」を表わすのか、草体における終筆の点
(注意虛線的左部分)
泰時之弟(義時的四男)政村系統(北條政村),可判讀的花押不多。時政型的花押可判讀,政村之子時村初期的花押(圖47)是困難判讀的。今日可見多是與時政型的花押不同,最後的筆畫是向右外張點的特徵。這個點是「村」的草體(圖48),從此點可判斷是從「村」字的花押。可能左方的長縱線與右方最後筆畫的半圓形表示「村」,中央的虛線(圖49)表示「日」字。左端較小的縱線是表示「村」的第一筆「一」,移動了草書體的最後筆畫,
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を移したのか、いずれとも断定できない。この花押は、時村が六波羅探題に赴任した当初の弘安(一二七八―八八)初年のものであって、弘安末年頃になると、全くちがった形の花押(図50)を用いるようになる。この方は父政村の花押(図51)に酷似している点が注目されるけれども、原拠の文字は父の場合同様判読できない。
義時の弟で佐介家の祖となった時房の花押については、先に述べた。この一流では、時房の長子で六波羅探題を長くつとめた時盛の花押が、父と同じく時政である。図52は時盛の貞永・嘉禎頃(一二三二―三八)の花押であるが、それより五年ほど溯った安貞年間
 義時の弟で佐介家の祖となった時房の花押については、さきに述べた。この一流では、時房の長子で六波羅探題を長くつとめた時盛の花押が、父と同じく時政である。図52は時盛の貞永・嘉禎頃(一二三二―三八)の花押であるが、それより五年ほど溯った安貞年間
並無法全部判定。這個花押是時村在赴任六波羅探題弘安(一二七八-八八)初年與弘安末年時期的花押(圖50)全然不同。此時與父親政村的花押(圖51)相似,無法判定原字與父親相同。
義時之子成為佐介家之祖時房的花押,先前已記述,是屬於一流系,時房長子時盛任六波羅探題的花押,與其父同樣是時政型。圖52是時盛於貞永、嘉禎時期(一二三二-三八)的花押,從五年回溯到安貞年間
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 (一二二七―二九)の花押(図53、大橋文書)の方が、彼の花押の祖型として、判読に好都合である。この花押は、父や祖父の花押と共通の右の二画(図53の点線より右)を除くと、図54のような形となり、「盛」の部分に当たる「皿」の変形と判読できる。図52は図53を修正したもので、原拠の文字に変更はないであろう。時盛の孫で、六波羅探題在職中失脚誅死した時国の花押(図55)も、右に張り出した終筆の円形を除いてみると、太字の部分が「王」の変形、細い線の円形が「口」を表わし、両者を合わせて「国」を表わしている。
 佐介の流で時盛の弟朝直から出た大佛家では、まず朝直の花押(図56)は、図57の実線
(一二二七-二九)的花押(圖53大橋文書)的方是他的花押祖型,判讀上是相同的。這個花押與父、祖父的共通點除了右二畫外,成為圖54的形式,判讀上應為「盛」的一部分「皿」的變形。圖52是圖53的修正圖,但不改變原來的字體。時盛之孫時國在任職六波羅探題中下台被誅死的花押(圖55),也是除了在向右外張以圓為最後筆畫外,粗體字的部分是「王」的變形,細字的圓表示「口」,兩者組合成「國」字。
在佐介流時,時盛之弟朝直出家,首先是朝直的花押(圖56),而圖57的實線
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部分で「朝」の草体の偏部を表わし、点線部分で旁の「月」を表わしたもの(「月」の草体を形象して、右に多きく張り出し、時政に仕上げている)、つまり全体で「朝」をあらわす一字の花押である。次に、朝直の子で、連署として執権時宗を輔佐した宣時の花押(図59)は中央部の楕円を二つ重ねた形が特徴的だが、これは「宣」の中の「日」を表わしている。宣時の孫で、延慶元年(一三〇八)六波羅探題となり、翌年京都で没した貞房の花押(図60)は、基本部分が三つの楕円からなり、しかもそれらの楕円二つが横重ねで、一つが縦に右側に配されている点まで、後述の貞時の花押(図68)とそっくりであって、この三つの楕円は「貞」の「目」を形象化したものと考えられる。
表示「朝」的草書體偏旁,虛線的部分表示「月」(「月」的草書體形象化,向右大幅外張,是修飾時政型),總之全體表示「朝」的一字花押。朝直之子宣時任職連署時輔佐執權的時宗的花押(圖59)其中央的二個重疊的圓是其特徵,表示「宣」中的「日」。宣時之孫貞房延慶元年(一三○八)成為六波羅探題,翌年在京都過世的花押(圖60),基本上是三個圓,然而二個圓是橫式重疊,另一個是縱向在右側配置。後述的貞時花押(圖68)也與此相似,三個圓是「貞」的「目」形象化。95.10.9
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北条氏の嫡統第二代の義時は、父時政の花押とは全く趣きを異にする花押を用いた(図61、62)。時政の花押が実名の二字の各一部(日と攵)の合成であるのに対して、義時の花押は「義」の一字であり、時政の場合は全体の形が梯形をなすのに対して、義時の場合はほとんど三角形であり、時政の場合、終筆が内まきにはね上げる形になっているのに対して、義時の場合は右下端に小さな三角形をつ
二 義時型的花押-126
北條氏的嫡統第二代義時,與其父時政的花押全然不相同(圖61、62)。時政的花押是取實名中的各一部分合成(日與),義時的花押只有「義」一字,時政的外形是成梯形,而義時大約是三角形,時政的最後一筆 向上揚,義時的右下角形成小三角形,
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くり、それも頂点から左に筆を下ろして右に底辺線を引き、左上にのばして頂点に合する(図61)、もしくは筆をさらに上方にのばして、全形の最頂点である縦線の上端で上げる(図62)。これは図63に実線で示すように、「義」字の省画と補筆(右下端部三角形の底辺)によって作成されたと見られ、義時の子朝時(図64)をはじめとして、一族子孫の中に、この型を踏襲する者が少なからず現れた。次に、この型に属する花押で、原拠の文字の判読できるものでかについて述べよう。
まず朝時の子、つまり義時の孫で、文永九年(一二七二)謀叛の嫌疑を受けて、不慮の死をとげた名越家の時章の花押(図65)は、
從頂點向左下筆延伸向右的底線,與左上延伸的頂點結合(圖61),可能是進一延伸到上方的最頂點,上揚到縱線的上端。(圖62)。圖63的實線來表示「義」字的省略及加上的筆畫(右下角的三角形的底邊),義時之子朝時(圖64),一族的子孫不少開始沿襲此法,僅只判讀這個花押的原出處的字。
首先是朝時之子,即義時之孫時章,在文永九年(一二七二)受到謀叛的嫌疑,意外死去,是在名越家的花押(圖65)
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 「章」の中の「早」の草体(図67)を配している(図66、点線部分に注目)。
 次に義時の嫡流で、義時の玄孫に当たり、蒙古襲来時の執権時宗の嫡子である貞時の花押(図68)は、右下方の三角形に義時型の特徴がよく出ている。この花押は、さきに貞房の花押(図60)を取り上げた際に言及したように、二つの楕円を横に重ね、もう一つの楕円を縦に配している点に特徴があり、それは「貞」字の「目」を象ったもの、それもただ楕円を横に三つ重ねることを避けて、配置に工夫を凝らして、文字の図形化、形象化をはかっていると解したい。図68は弘安七年(一二八四)のものであるが(円覚寺文書)、同十年には図69(東寺文書)、正安二年(一三〇〇)には図70(熊谷文書)、嘉元三年(一三〇五)には図71(斉藤文書)というふうに、花押の頻繁な変化が見られ、図68のおける楕円三個という特徴は失われた如くであるが、全体的に見れば、これらの変化は徐々に加えられた小修正の結果であって、途中で原拠の文字が変わったわけではあるまい。
 貞時の嫡子で、執権北条氏の嫡統最後の人となった高時の花押も義時型である。その最も早い時期のものとして、正和二年(一三一三)の図72(相模文書)があり、同四年には図73(三宝院文書)、同五年には図74(池田文書)の如く、次々と形が変わり、結局元亨(一三
「章」是「早」的草書體(圖65)來作為花押(注此圖66的虛線)。
義時的嫡系其玄孫貞時,在蒙古來襲時為執權時宗之嫡子的花押(圖68)屬於義時雃的特徵是右下方三角形。這個花押是取法先前貞房的花押(圖60),重疊二個橫式圖及配上一個縱的的圖的特徵,如同「貞」字「目」,只是避免了三個重疊的橫式橢圓,可看到其配置的功夫,成為文字的圖形化及形象化。圖68是弘安七年(一二八四)的花押(圓覺寺文書),弘安十年圖69(東寺文書)、正安二年(一三○○)圖70(熊谷文書)、嘉元三年(一三○五)圖71(齋藤文書),花押變化十分頻繁,圖68是失去三個橢圓的特徵,以整體來看慢慢的加入小修正,在其中變化原本的文字。
貞時的嫡子高時是執權北條氏的最後嫡系,也是義時型,最早時期的花押是圖72(相模文書)正和二年(一三一三),正和四年是圖73(三寶院文書)、正和五年圖74(池田文書),漸漸改變其形,最後是元亨(一三二一-二四)年間
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二一―二四)頃には図75の形に落ちつくのである。今、祖型と思われる図72、73を見ると、頭部に三角形、その下に丸みをおびた縦長の方形を置き、その右に小さな楕円を二つ縦に配しているのが、この花押の特徴である。これを図形化すれば図76のようになる。左側の大きな三角形と長方形だけに注目すれば、前掲随時の花押(図30)に似ているけれど、これが果たして随時のように「有」の形象化であるか、疑いなきを得ない。私はむしろ、三角形と長方形には特別の意味はなく、「高」の中の第三~六画を「日」で表わし、これをデフォルメして□の形にしたのではないかと考える。もう一つ「高」字を「日」で表わし
的圖75。以祖型來思考是圖72、73,頭部為三角形,其下帶有圓形的縱長方形,右邊是配二個縱的小橢圓形為此花押的特徵。此花押圓形化成為圖76,要注意左側是大的三角形與長方形,與前面介紹的隨時花押(圖30)相似,隨時的花押是「有」的形象化。三角形及長方形並沒有特別的意思,表示「高」的第三到六畫「日」,不是表示「」形,而是表示「高」字的「日」。
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た例として、高時から一字を与えられたといわれる足利高氏(尊氏)の花押(図77)がある。次に高時の花押における右側の二つの小楕円は何かといえば、これまた「時」の中の「日」の形象化ではあるまいか。年代が下るに従って、この部分が次第に全形の中での比重を増しているのが注目される。
 時宗の弟の子、従って貞時の従弟に当たり、正安三年(一三〇一)貞時のあとを襲って執権となった師時の、執権時代の花押は図78であるが、その祖型とおぼしき弘安七年(一二八四)の花押(図79、蒲神社文書)を見ると、図80で実線をもって示した部分が「」に当たり、点線をもって示した部分が「」
從高時的一個字,如足利高氏(尊氏)的花押(圖77)也有此例。高時的花押右側為何是二個小橢圓,應是「時」的「日」形象化。年代增加,這個部分佔全部外形的比重增加。
時宗之弟宗攻之子為貞時的從弟師時,在正安三年(一三○一)沿襲了貞時掌執權,其任職執權時代的花押圖78。其祖型是弘安七年(一二八四)的花押(圖79蒲神社文書),圖80的實線表示「」,虛線是「」
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に当たる(図81、師の草体参照)。つまり全体で「師」を表わすと解せられる。次に前出時村の孫で、正和元年(一三一二)執権となった煕時の花押(図82)は、上に横線を二本、その下に楕円を横に二つ配し、縦線で全体の中央を貫いているように見えるが、この人物がはじめ貞泰と名乗り、これを煕時と改めた事実(鎌倉年代記、北条時政以来執権次第)に照らすと、「泰」の「」を横線四本と縦線で表わしているのではあるまいか(泰時の花押の説明と図14参照)。もしこの判読が正しいとすれば、煕時は初名貞泰の時に定めた花押を、改名後も根本的な改変しに用い続けたことになろう(一一七頁、兼時の例参照)。
(參照圖81師字的草書體)。總之,全體表示「師」字。前出的時村之孫熙時在正和元年(一三一二)成為執權時的花押(圖82),上面是二條橫線,下面是配二個橢圓,以縱線貫穿中央,開始將貞泰這個名字改為熙時(鎌倉年代記,任職北條時政以來的執權),,「泰」的「」以四條橫線及縱線表示(參照圖14泰時的花押),如果判讀正確的話,熙時是以初名貞泰定的花押,並無改變,繼續沿用(參照頁一一七,兼時的例子)。
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 幕府最後の連署、茂時の連署時代の花押は図83だが、初期の花押(図84)を見ると、明らかに「茂」を元にしたもので、図85の実線部分が「茂」そのまま、点線部分は形象化のための補筆である。
 終わりに、時政型から義時型に変わった花押の例を一つだけあげておく。それは北条久時の花押であって、六波羅探題在任の正応(一二八八―九三)末年から永仁四年(一二九六)までは前掲の如く(図44)時政型だが、正安元年(一二九九)には義時型に転じている(図87)。
任職幕府最後的連署,在茂時的連署花押(圖83),初期的花押(圖84),可知是「茂」字,圖85的實線表示「茂」,虛線是形象化的補筆。
最後,從時政型改變為義時型的花押一例,是北條久時的花押,在正應末年(一二八八-九三)開始到永仁四年(一二九六)任職六波羅探題如前揭(圖44)的時政型,在正安元年(一二九九)轉化為義時型的花押(圖87)。
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三 金澤一族の花押
三 金澤一族的花押-134
 最後に金澤文庫にゆかりの深い金澤一門の花押を観察したい。文庫の創設者実時の花押(図88)を取り上げるに当たって、まず試みに、実時以前の人物で「実」の字を原拠とする数人の花押を列挙してみる。図89は藤原実光(権中納言、久安三年[一一四七]没)の花押であって、わかりやすく書き直すと図90のようになり、「毌」と「ㄦ」つまり「実」と「光」の各部分と読める。次に図91は三代将軍源実朝の花押であって、図92で実線をもって示した部分が「」の形象化である。初筆の部分がウ冠を示し、「毌」に当たる部分は筆順を変えている。点線部分は「月」であろう。次に図93は天永二年(一一一一)の文書に見える僧慶実の花押であって、分かりやすくこれを書き直すと図94のようになる。これの右側の点は「慶」の草体の終画であろう。それを除いた部分は「」の草体を元にして、
最後要去觀察的與金澤文庫關係很深的金澤一門的花押。實時是文庫的創設者,其花押(圖88),首在在其之前以「實」為字的花押已有列舉。圖89是藤原實光(權中納言,久安三年〔一一四七〕沒)的花押,很容易分辨其更正的圖90是「毋」與「ㄦ」,總之是「實」與「光」的一部分。圖91是三代將軍源實朝的花押,圖92實線是「」的形象化。起筆的部分是表示ウ冠,改變「」的筆畫順序,虛線是「月」。圖93是僧人慶實於天永二年(一一一)的文書,其圖94為修正後的芯押。右側是「慶」的草書體最後筆畫,除了「」的草書體的
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筆順を変えた形である。以上の三例によって、原拠の「実」が「」もしくは「毌」で表わされ、また、それから花押が作られる際に、間々本来の筆順に変更が加えられることが分かる。そして、以上三例を実時の花押と対照すると、後者もまた「実」のもとづいて「」を形象化していることが知られる。すなわち図88の点線より左の部分が、筆順を変えた「毌」の形象化であり、点線より右の部分は時政型花押における終筆の形式であり、あるいはそれと同時に「時」の草体に終筆をも表わしているかもしれない。金澤文庫第二代の主、顯時の花押(図95)は、形といい運筆といい、時政型・義時型のいずれにも属さない特異な花押であって、北条一族の花押群中に独り異彩を放っている。この花押の特徴は、中央上部の横楕円形、縦の二線、終筆としての右上部の点、以上の三点である。今、「顕」字の草体(図96)を見ると、偏部分の上部に、本字の「日」に当たる曲線(図97の実線上部)があって、これが花押に形象化されて斜めの横楕円形となってきわめて自然であり、その下の縦長の曲線二本(図97の実線下部)が、本字における「糸」二本の並列に当たり、これが花押に形象化される際、縦長の直線二本となったと見ることができる。今出川公顕の自署(岩崎小弥太氏所蔵文書)において「顕」のこの部分がほとんど二
筆畫順序改變。根據以上的三個例子,原來的「實」是「」可能以「」表示,從花押的製作時,加上變更筆畫順序。於是以上面三例對照實時的花押,後者是「實」以「」的形象化,即是圖88的虛線左部分,改變了筆畫順序「毋」的形象化,由虛線的右部分成為時政型花押的最後筆畫,或是表示「時」的早書體的最後筆畫。
金澤文庫的第二代主人顯時的花押(圖95),外形及運筆都很不錯,不屬於時政、義時型的獨特花押。其特徵是中央上部的橫式橢圓衫、二條縱線,最後一筆是右上部的點,有上述三個特徵。「顯」字的草體(圖96),上部的偏旁是本字的「日」曲線(圖97的實線上部分),之下有二條縱長的曲線(圖97實線的下部分),在本字是二條「糸」並列,在形象化之際,成為二條縱長的直線。出川公顯的自署(岩崎小彌太氏所藏的文書),「顯」的部分大約是二
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本の斜線になっている点を参照(図98)。そして図95における終筆の一点は、「顕」の草体の旁部分の三点(、、、)を省画した表現と見ることはできまいか。また二本の縦線を包む形の大きな楕円形は、図97偏部の点線部分の変形であろう。
 顕時の花押に似た花押は、北条一族中にはもとより、広く当時の武家の中にも見出せないように思われる。建武新政前後に後醍醐天皇方として活躍した結城宗広の花押(図99)、ほぼ同時時代の貴族洞院公賢(園太暦の記主)の花押(図100)が割合近い形といえよう。
 次は顕時の嫡子で文庫第三代の主、貞顕の花押である。貞顕は六波羅探題となって上洛した正安四年(一三〇二)頃から延慶(一三〇八―一一)頃までは、図101のような花押を用い、正和(一三一二―一七)初年頃からこれに小変化を加えて、横長・縦短にして、元亨(一三二一―二四)頃には図102のように変えた。これは、初期のものに比べると、随分形が変わっているけれども、運筆は両者ともほとんど同じであって、原拠の文字が途中で変わったとは考えらない。そこで図101について観察すると、右下端の三角形に注目して、これを義時型に含めることはできようが、左端に三角形の張り出しを作った点は、今まで見た義時型にはないところである。この左の張り出しは、右下端の三角形と均衡をとって、
條斜線(圖98)。在圖95的最後筆畫的一點是「顯」草書體的偏旁三點「」省略筆畫的表現。又包著二條縱線的大橢圓是圖97的虛線部分變形。
與顯時相似的花押,以北條一族為中心,在當時廣泛的武家花押並未看見。建武新政前後活躍於後醍醐天皇方的結城宗廣花押(圖99),大約同時代的貴族洞院公賢(園太曆的記主)花押(圖100)外形很接近。
顯時的嫡子文庫第三代主人貞顯的花押,他是在六波羅探題時入京,從正安四年(一三○二)到延慶(一三○八-一一)期間用圖101的花押,正和(一三一二-一七)初年開始有了小變化,橫長、縱短,圓102是元亨(一三二一-二四)時改變的,比初期,程度相當變化,但在運筆方面大約相同,不考量改變了原來的字體。觀察圖101,注意右下角的三角形,含有義時型的特徵,左端外張的三角形,並不是義時型。左方向外與右下角三角形,是為均衡。
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安定した形を作るために加えられた補筆と見てよいのではないか。この左三角の張り出しは、永仁四年(一二九六)の関東下知状(東寺百合文書マ)の継目裏判(図103)や、貞顕の花押あたりを早い例として、鎌倉末期になると、大仏維貞(図104)、北条英時(図105)、同政平(図106、東寺百合文書せ)などをあげることができる。そこで図101の左右両端の張り出しを除くと、図107のようになる。これはほぼ父顕時の花押と同形である。もしさきに試みた顕時の花押の判読が当たっているとすれば、この貞顕の花押も「顕」、厳密にいえば、顕時の場合の「頁」に当たる点が貞顕のにはないから、これは「」を原拠にしたと見ること
有安定外形,而補筆並不是好的。左三角外張的有永仁四年(一二九六)關東下知狀(東寺百合文書)繼目的花押(圖103)與貞顯的花押是較早的例子,在鎌倉末期的大佛維貞(圖104)、北條英時(圖105)、同政平(圖106東寺百合文書)。除圖101左右外張,圖107也是如此.。大概於父顯時的花押同形。若先前試讀顯時的芯押判讀正確的話,貞顯的花押也是嚴密的「顯」字,顯時是以「頁」為顯字,貞顯則不是,以「」為原依據。
October 11, 2007
瑣末,然而日常生活用品應該要採取什麼特色呢?圍繞在這些用品的生活中,造成國民的精神脆弱及荒廢是必然之勢。讓人覺得不安,是以纖弱沒趣味的現代日本生活寄託於國民的將來。特別在今日決戰體制之下,令人痛感這樣的弊病。以正確的東亞獨自健全趣味的生活文化,來給與國民的日常生活力道及滋潤,是國家的百年之計,同時也是當務之急。慶幸的是在東亞各地自古優秀的傳統尚未湮滅,在地方民俗藝品也是如此。保該助長優秀的地方民藝的傳統,作為現代日本生活文化批判及反省的資料,是在救濟時弊時第一要著手進行的。我們認為透過設立臺灣生活文化振興會,依照其主旨必能達成所認可事業的願望。
規約
第一條 本會稱為臺灣生活文化振興會,辦公室設在臺灣總督府文教局。
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第二條 本會以生活振興造形文化,兼醇化及提升民間藝術為目的。
第三條 為達到前條的目的,而執行左列的事項。
1. 研究調查
2. 獎勵指導
3. 辦理展覽會、演講、講習會、座談會、表演,及出版
4. 其他必要的事業
第四條 本會設置組織成員。
會長 1名 推舉在職的文教局長
理事 若干名 其中若干名為常任理事
幹事 若干名
委員 若干名
理事以下的職員由會長指派。
第五條 會長統理本會。
理事組織理事會作為本會的運營。
幹事受命於會長處理會務。
委員指導工藝各部門其他民間藝術,並且專門事項提供意見。
第六條 本會得設置顧問。
顧問是對生活文化造詣深及對本會有功勞的人,由會長指派,及因應會長諮詢。
第七條 本會的經費由捐贈、補助金或其他來源支應
October 9, 2007
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,從小袖發展出來,袖丈在以前也是十分樸質的薙袖,但伴隨著江戶時代奢侈風氣,變成較長且華麗的式樣,腰帶及衣巾也變寬,江戶中期以後女子的衣服成為長的振袖,腰帶及衣巾成為大鼓結,是不利保健的。此風由於幕府的儉約令禁止,在反制下又漸漸成為優美但脆弱的樣式。無疑是離開了傳統日本注重簡單、明瞭的好風尚,因此出現了今日廢止長袖運動。
在食的方面,也是如此。原本日本傳統食物是樸質無華的,但是江戶中期後的奢侈風氣,在公共場合在食物外型上開始裝飾。
因為白米成為日常食物,在江戶時期有腳氣病的出現。喜好動物及愚笨的風氣,所謂「通」是江戶以前的特殊風尚。以前貯藏的食物是供作主膳之用,在日本是沒有如此的作法,是不貯存食物的。在日本以前盛行的飲食生活,外了鹽清、糟漬外還有醬漬,各種的醃漬品及乾燥食物等也作為主食。中華民族早期、西歐民族、斯拉夫民族從早期一直到現在也是如此,在海外移民的日本人常常是不對食物保存及貯藏,對此這是很好的話題。可以將臺灣傳統如何保存食物的方法,傳授給在地的日本人。
在序言提及住方面,在日本建築中,今日的住居,從平安時代的寢殿樣式,變成武家及書院樣式,但另方面農家的樣式混雜成為民家及商家的樣式,此外還有如茶室。後來已完全切斷日本原本的精神,從江戶時代漸漸漸開始崩解,只是外形還算是良好,但是至今日歪曲之風來看是不爭的事實。廊下鑲嵌玻璃可能是最近之事,但在廊下起初是從外面來看內是遮雨用,有深深的柱子挿在地下。房間與外側及玻璃是在原來並不是組成在一起的。同樣的江戶時,也在房間放上塌塌米(民宅)。天井板及床柱也相互競爭以重金裝飾。為追求茶道的簡樸「單純樸實的信念」而作的事,造成歪曲的結果,更在床間及違棚間加上了煩瑣的累贅,正是遠離了日本建築的原意。簡素、單純不虛偽,排除虛飾紛裝,自然、明朗是日本住居的特性,其無疑是沒有不合理及不快的地方。
可是僅僅簡樸不是過於消極,在簡樸中的力道,是複雜及煩瑣的東西完全表現不出的,在起初時力道是真正的日本性格。傳統日本之美的意義,在現在紛亂的文化變革期中再現原來的本色,到了海外這是不可能的,沒有趣味是當然的,變成歪曲、雜亂的東西,對提振原來的本色是很危險的。因為同時在之前的日本美及日本固有的回顧概念,必須要思考發展未來日本性格。就此點言,臺灣也是日本的一個地方,可考量當作日本新文化的搖籃。

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前面已就家具及日常生活用品等等來說,在其中較少論及日本文化,實際上大多數是從大陸及敵對的英、美而來,從那裡借用物質與精神兩個層面,這是令人驚訝的。借用外觀並非絕對之惡,但是被借用的原有固定概念,在較好的觀念下,會失去對原本產品的包容性,應存有這樣的戒心。
實際上臺灣的位置關係,受大陸影響南甚於北,也可見到東亞各式各樣的元素傳入。對未來而言,必須思考成為東亞的造形文化基地發展一途。狹隘的日本文化傳入臺灣,造成重大的影響,並不全然沒有開端。可是日本的造形,近年來漸漸衰弱,變得歪曲。然而在這土地下扎的深根所生的風土,可以回到這個傳統,吸收樸實的好東西,是作為日本的一個地方臺灣,被寄與在其自體的造形發展上。於是要吸收好的東西,必須有鑑賞的眼光,日本人自古自負有著優於其他民族的一流能力。在此方向上發展的日本應對將來臺灣的造形負責,我認為這是在臺灣居住的有識之士的責任。思考著日本今天時時刻刻在增加領土,如同畫上同心圓後擴大半徑。以邁向大東亞共榮的文化的心來覺醒,並以日本為中心開始這樣的行動。在這空間的中心,對臺灣而言是存有許多珍貴的東西。小如工藝品、用具,大到建築、土木的造形文化,要負與極重的使命。
這次在末尾舉出推展「臺灣生活文化振興會」的主旨、規約及工作人員,並期望廣大的建築會員能給與援助。
設立主旨
在近代日本受到歐美文化輸入之際,由原有的科學技術及思想方面,在文藝美術如純粹藝術面很少經過批判才攝取,並且蒙受不絕的批判及檢討。然而比較這些部門,與國民日常生活較直接的,如生活造形文化方面僅僅以利潤為目標,去追求歐美的流行,或是迎合歐美人的歡心,受到資本工藝家的專斷影響,無法對其深入的批判。結果是國民也要接受這樣的東西,在今天所見到脆弱的

October 8, 2007
草蓆的生產中也從來沒有日本製作的蓆子,掃除作為塌塌米的想法,必須活用臺灣產的草蓆。我認為熟練了簡單的編織法,就足夠了,並且是有著喜好臺灣產品的期望。藺草的編織品不只是草蓆,另有掛壁用、窗簾及室內裝飾的用途,我認為活用藺草是很有趣。
近年來常見將檜木削細作為編織物的纖維來編織袋子,及加工作室內拖鞋、帽子等,根據業者的說法臺灣檜是很脆的,無法作這些產品,很可惜是受到日本檜木移植臺灣的影響。在戰前在大部分的外銷物品中,纖細及脆弱的製品很多,是不好的產品。其他的編織材料中有如林投、月桃等的編織纖維。作為編織品中用芭蕉、鳳梨及麻等的材料,也有很華麗的工藝品。特別是高砂族的苧麻也是十分華麗的工藝品,在加工、圖案及色彩上令人驚奇,因此很受到柳宗悅氏的推崇。在這些作品中原住民的下級品及蕃人的作品,不僅是今人好奇及作為古董,也延生成為現代生活,加入到我們生活之中,也大大的滋潤臺灣的生活不是嗎?受到材料及作法的影響,慢慢的衰退,實在是很可惜,將這種稀少的技術來傳給後代,是我們今後應該的工作。
以前開紿即使用天然的染料,但近來化學染料的進口,因為依賴日本的編織品而有所衰退,近年又因與日本依存度降低,再次使用各種天然的染料,也不受到製作困難的影響,漸漸的將這種藝術發揚,正是愛好工藝者所高興之事。
總之就纖維產品來說,臺灣是的材料是豐富且有多樣性的,一定要利用這些來發展,同時期盼將這些材料加入臺灣自身的產品。
其他-自古陶器方面是從華南傳來優秀的民俗藝品,至今受到市井雜器的影響而產生不好的東西,可以隨處見這類的物品。特別是新製作的華南作品也不再傳入臺灣。在臺灣的陶器是限於實用性,很多種類是壼、甕、鉢及土鍋類。作為原住民的民俗藝品,令人感受到陶器的外形是粗獷、樸實
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並有濃厚的色彩。近年由日本輸入薄弱的茶碗及鉢被當作高級品來推廣,認為臺灣產品是下等製品,但在斷絕日本輸入後的今天,產生臺灣陶器的轉型期,期望能製作出好的作品。我覺得不去模仿日本製品,不受柔弱歪曲西洋風的影響,期望以臺灣生活能量產生厚實有力的作品。
漆器也是同樣如前述般的說法。我認為可能在材料上無法自己自足,總之臺灣的製品受到日本不好的風格影響,得不到好作法,在臺灣的地方性上加了日本內地風格,到底什麼東西是應該加入呢。
其他金屬工藝品及士大夫佩刀也是很好的作品,但因為近年來材料的問題停止製作,十分可惜。利用動物頭角的製品很多出現於臺灣土產中,但可惜的是缺乏優良的作品。這些製品沒有珍貴的東西,是作為日常用具,我認為就外形及加工過程就值得去誇耀其成果。
上述是我舉出至今在臺灣的各種工藝品,但是這些東西很少被日本文化吸收。可是臺灣至今的古生活與今日我們日本的生活樣式及習慣的不同,無法納入其特色,要思考產生了不同的用途及新的使用方法。並且舊有的傳統,因為新生活的加入,多少有點改變,以合乎我們的用途及喜好的樣式,也是活用的方法。今日舊有的樣式若斷絕從日本傳入新風格,則應在臺灣自身產生新東西。我認為應考量場合以製作出合乎日本風格的作品。總之在臺灣任何場合中,至今從自身創造的作品中,是要確保合乎臺灣自然的生活。保有與日本不同的自然、風土及材料的基礎條件下。要再考思考日本風中作品哪些是好的東西。因此在這塊土地上可看到其樸素面,要利用的材料,生產出所需的東西,改善土地上的作品以合乎今天正確的生活,向活用的方向去走,才是適當之途。而不是以日本傳來的東西,要對臺灣有積極的想法。在吸收日本的次級文化時,因為某些元素是無法模仿日本真正的文化。臺灣無法用任何形式來轉化成日本模式。我認為在臺灣不要興起進入日本模式,不應持有以日本就可對臺灣加分的觀念。我以為要生活合理化,以簡樸化的生活來活用在地的東西。
從以上所持的概念來看是無視日本本土文化,如誤將日本、臺灣中國化的意思。可能是在短暫時局下臺灣日本精神化及皇民化的環結。可是人們從日本輸入文化至臺灣,是真的日本文化嗎,是必須要思考的地方。
現今日本作為舊有日本的永久的生活文化,在今日時局之下有不少的改革,漸漸無法導入正途。真正日本的文化,在近年被歪曲及頹廢,不合新時代的再啟發的東西很多。在最近百年間的日本文化是江戶時代末期衰頹的樣子,今日已失去真正日本的傳統,這是較少被考量的地方。
如衣著方面,在日本的衣服原本是作為內衣之用

October 4, 2007
家具-桌子、椅子、床等,種類很多。在寺廟保有古老神桌,其樣式優秀且豪華,與其不同的是一般家庭的各種椅子、床及櫃子等,每一種數量都很多,且富有明確的性格及形式美。總之,是便宜的西洋風格家具所不能比美的。
家具一般多以雕刻為主,到末期不堅固的東西也增加很多,但這是其缺點,我認為應學其製造出來的生活力中厚實及有力道的地方。然而受到日本式西洋風家具的影響,在店中充滿著沒有趣味且輕薄的亮光漆塗色的櫃子及化粧櫃等,我認為以上不堪用的家具,是近年來不良的影響造成。改用雜質粗纖維作為鋪在床上的床板,而我認為臺灣製品實用性上誠然是較好的。
簡單的家具類,如小椅子及小桌子等,是僅僅實用及簡樸的特色,沒有創作的意念,作出十分自然的,我認為這是很好的。不限於家具,在建築及工藝品中,創作只是工作而已,令人不悅的地方很多。
竹製品-是作為臺灣第一的工藝品。在臺灣繁殖的竹材,比起很早就存在的木材,開始在今日被好好使用。


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普通工作上使用桂竹、長枝竹、刺竹、麻竹、綠竹等,由於他們的性質有異,總之利用範圍非常廣。眾所周知在中南部地方有竹造建築,不僅是在農家,近來因為節約木材,現在相當規模的竹造建築物的出現。在以前的竹製籬笆及竹筏也充滿臺灣味,是十分有名的。
工藝品-有家具、雜器及編織品等。我認為在家具方面,特別是椅子很精良。小的如簡單子椅凳,大如有扶手的椅子,種類繁多。德國建築家プルノー・タウト見到臺灣的竹椅子,有著驚人之語。タウト是一流的建築家,是世界造形文化的權威。他到日本驚訝見到臺灣的竹椅。比起小梨木為材料及作工而言,感嘆臺灣的竹椅有著強烈的風格並超越了輕弱的木椅。他在之前對臺灣的竹椅並不會感動。
外形有如詩般的感受,由於簡素、樸實的姿態,讓人十分愛惜。接觸時有如滑潤的肌膚,郤令人驚奇構成的韌性。作工之妙是工作之至藝,是從臺灣舊有傳統留下的東西不是嗎,我認為這正是作為竹製工藝可向世界誇耀的地方。同時應在臺灣幫助其生產、指導及利用竹製工藝品。
就一體成形的靠背及扶手的椅子,靠背的高度有點過高,不限於竹椅,在木椅也有此問題。我認為低一點會更舒服,並鋪上和風的坐墊就更好了。在外形上以自然作工的話,從自由創作中,能指導如何製成各種有趣的東西。只是不要加入有著神經質般的纖細技巧,以本來的性格製作是十分重要的。把椅轎橫倒的話,即成為幼童的坐椅,其實用性是很好的。由於最近日本竹紅繪(浮世繪)的作業替代了鋼管彈力性的椅子,我認為這並不是臺灣移入的形式。
椅子之外的桌子、商品陳列的架子、寢室椅、床等,有著各式各樣的家具。就這些東西也加點工夫,使得日本的日常用品也得到更生。在
竹編籠子類中,第一的棧籠(是婚喪喜慶中放置供品及食物用的籠子),這樣的籠子是充滿力道之美,並塗上顏色的東西種類繁多,其他如花籃、檳榔籠、水果籃、穀物籠、篩子、有紋飾的編織品等,充滿了自然樸實之美。更趨向實用性的米籠、味潧瀘、笟、桌罩(餐桌上的防蠅罩)、竹笠、魚籠等的雜器,多的數不清。總之,在臺灣人民從出生後,睡在竹搖籃,成長及生活中用著竹製品來思考的話,隨手可取的竹製品,我認為無法成為其生計是很好的。邅不僅是有利於竹子與人的親近,我認為正是以上的東西所有的觀感。
早年為了指導臺灣的竹製品精緻化,從日本找來精品的專家,但是在實地講解後郤失敗回國,這是當然之事。以為日本的東西比起臺灣要好的觀念,是因為對其認知不足,從以前日本的工藝品的觀點來看臺灣的各種工藝品,自然會明白其優點,在此時臺灣土地上的工藝品,總之太過優美纖細,造成破壞原本臺灣力道之美的健康風格。不僅在竹製品,在臺灣的獨自文化風格中也無法被保謢了。以日本的尺度來要求臺灣,不單單是政治及民情指導的錯誤,應是我們自身必要有如此自覺去記住這點。
如此考量的話竹子並不是不可思議的東西,切斷竹子,會從地下莖來繁殖,竹筍是很好的食品。竹子的生長期很快,約三、四年成長可採集到一個人份的量
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,生長期是木材的十分之一而已。竹子的特性是有著驚人的強韌性,且重量輕,他的纖維是縱直的,可自由的做細緻加工,也富有彈性。有好的效率兼能水洗,因此可作為女子的各種家庭副業產品。我認為我們要對竹子用於生活大大的稱頌。
籐加工品-臺灣的籐主要是從南方輸入,在臺灣是無法自給自足。並且臺灣籐不易漂白,不適合加工。可是,我認為是很好的工藝材料。高砂族的籐籠及背籠有著自然之美,是很好的工藝品。目前一般的籐椅及桌子之類很多缺乏健康性。
纖維製品-纖維的王者是中部地方的大甲藺,南部地方的三角藺。前者是細細的裂痕,有所謂臺灣土產之稱,在商店中有豐富的製品如帽子、袋子、草蓆等。後者成為臺灣的坐墊、袋子、魚籠等等。最近有特色的是編成美美的坐墊。由用心編織方法及鮮明的色彩編成的作品,成為美麗又豪華的藝術品。成為替代坐墊,作為一般的草蓆也是很不錯,這樣的生產有助於保護臺灣獨自的生活工藝品的普及。
October 3, 2007
大倉三郎,〈在本島的造形文化運動-臺灣生活文化振興會的興起〉,《臺灣建築會誌》,第16輯第1號,頁1~9。

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在本島並非從來沒有獨自的造形文化運動,之所以關心這個議題,是想要延續這個特色及其造形意識,因為很少有人關心它。到今日大部分不過只有個人的喜好導致興趣,不見社會上有積極的展開推廣研究。
然而在時代的需求下,導致我們時常去反省日常生活,去創新簡樸化及加強生活文化,以達到造形文化上的期望。另方面在戰時材料的控管下,改變以前在自由主義經濟下的各種造形文化,迫使走向新型態地方性自主的產業方向。
所謂造形文化並不是指高級的美術品及工藝製品,是包含日常生活的家具、雜器、家庭用品等等,指有著造形意念構成室內建築的物品,是市井一般生活造形物品為基礎。
我們的確是以今天臺灣大地作為生活的根本,必須在粗樸及著實的信念下來建構生活文化。以前我們的生活的雰圍乃至習性,是先表現身體的動作上。並且也與舉手可取及眼睛可見的物品有密切的關,如表現在書寫的文字、繪畫等鮮明的線條之上。生活習性改變的話也會促使造形意識的改變,相反也成立。隨著時代的變遷,也不斷地改變生活文化的面相-很少有存有古意又有新文化的觀點,僅要求改變及更新造形。在繪畫、雕刻、建築及全面的歷史上,工藝也不例外。德國美術史家ウエルフリン從改變視覺面相的變遷中提到的論點。
在今天日本的社會中臺灣,也是位在大變動的時代。新文化的波動時時刻刻在洗練著這個小島,而促成生活文化的氣氛,
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導致直接表現在具象的造形上,我們首先要反省身邊物品的形狀及顏色,再深入探討臺灣的地方性及獨自性,必然能促生新時代的造形意念。
我認為我們身邊的造形,大部分不是在追趕著歐美文化的次級文化嗎,在東亞及臺灣市井角落中埋沒著獨自的優美造形。例如:加上金屬的珐瑯盥洗用具、賽璐璐的玩具、鍍金的湯匙、石膏雕刻及薄弱的家具等等,不是缺乏溫潤及力道的造形嗎。特別在近年來著重在追求利潤,形成粗製亂造的弊端,脆弱的所謂仿製品的東西造成價格降低,不外是工作文化的冒瀆。
我認為在造形文化中被埋沒的生活,並不是賤價的物品。不可否認在原始住民的工作用品中,可以發現有許多簡樸、有力且健全的物品。在此文化中也有些低品質的東西,軟弱的不似有文化,缺乏其本色的東西,即無法達到深入人心的野性之美。
明治以來吸收太多歐米文化,無法消化玩味。只是做仿製歐美次級的造形文化,不覺得是今日東亞及日本生活文化的危機嗎?於是很快的中止在東亞、臺灣空氣及土壤扎根的生活下的生活文文化,是今日我們要面對的地方。這不是根據個人興趣及一部分人士的嗜好的問題,是要去發展廣泛的社會生活指導,不是意味要去強力的改變生活文化。
如以上的主旨促成這次「臺灣生活文化振興會」的結成,是就今年春日本民藝協會柳宗悅氏為了對臺灣民俗工藝品的視察,大約一個月的時間行走全島各地方來指導此運動,有這個機緣來啓發這個運動,因為是不期望是作為島內有識者以前的願望,僅是成為一個大團結,總之造形運動要積極地踏出第一步,是值得高興的。
本會的設立主旨,其他的部分揭載於本文末尾。前些日子以二、三個役員為中心在各地開座談會,就本會的主旨來預先詢問專門者中,結果都是很好的回應。作為目前的事業計畫,舉辦近代生活工藝品展覽會,及舉辦演講、座談會,去找尋、蒐集及購買島內優秀的生活工藝品。作為一般生活工藝品與建築無直接相關的的家庭雜器及用具,這些造形意念並且醞釀出室內建築的氣氛,因為與建築也相關,也同時借本會誌中介紹將在下面引述,乞求廣大的建築家們深切的關心及援助。
在製作決戰時下的工藝品不是不急不遜有趣味的事,有著趨向危懼感的樣子,但是這意味著生活工藝是與奢侈品大大的不同,指生活即接近日常的必需用具,不與舊有的古董及風雅的物品混雜。在決戰時局下,要重建生活,當下是簡樸化之際,深深感到這種事業的必要性。活用合乎地方原住民的材料,節約重要的資材
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也是戰時必須的強烈需求。另方面讚美鄉土的心,引起其愛國及集結出讚仰國家無法動搖的心,深深建立起大國民的生活。不久將來的國民生活,是要扎根在這塊大地,在心中萌生此芽,則必須把握住清新的造形文化。我認為這也是從根本指向戰時下國民的生活。
以前在臺灣作為優秀的美術工藝品是很少的,但生活即工藝是存在的,在質地上及地方特色方面很豐富的東西很多。特別是高砂族固有的生活用品是很珍貴,也有特色,是已被知道的事。這些東西保留了野性的特色,及對生活的強烈生命力,有著深厚的健康美,有時顯示出無執著之美。自由且勇敢地使用手邊的材料,保有原住民的特性,完全扎根於臺灣的土地下。
至今在臺灣原住民的民俗工藝品一概是低級卑微的東西,被輕易的忽視,在這之中有驚人的工藝作品,具備力與美,並保有正統東洋的格調及形色,這是作者所不知並保留下來的特色。本文避免觸及各個單一作品,以一般本島原住民的工藝品,暫以下嘗試通論性敘述:
木工藝品-首先是各樣式的桶子,作為材料有杉木、松木等等,如水桶、腰桶等種類,然後也有塗上紅色的桶子,及十分厚實健康的外形。蒟蒻芽作的桶子及洗臉盆,是不合乎工藝品的價值。在雜物方面湯匙、盆子、蒸籠、小箱子之類、臺灣木屐等有不少有趣的東西。在廚房的用具中可見與內地近代工藝品缺乏的厚重及有力,我認為這是平日生活中使用中顯示出強而有力的生活力,是令人驚奇其強烈的忍耐力。
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