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ID:guyuan
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November 7, 2007
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頁141
ができよう。
 終わりに、顕時の弟、鎮西探題となった実政、及び実政の子で、父のあとをについで鎮西探題となった政顕の花押を取り上げたい。まず実政の花押(図108)は終筆を、内巻き曲線を描きつつはね上げている点で、一応時政型に入れてよい。そして左端の三角形(図109の点線部分)を、花押作成上の補筆もしくは作為と見れば、この花押が「実」の「」を形象化して、やや左に傾け形であることは、動かぬところであろう。念のため、「」の草体の略形と筆順を示せば図110のようになる。次に政顕の花押(図111)であるが、これも花押作成上の補筆、作為と思われる部分(図112の点線部分)を除けば、骨格(図113)はほとんど父実政の花押と同じになり、「」を原拠としていることが分かる。すなわち政顕は彼の実名に拠らず、父の花押に修正を加えて、これを用いたわけである。
最後,是顯時弟弟實政成為鎮西探題及實政之子在其父之後也成為鎮西探題,是取材自政顯的花押。首先是實政的花押(圖108)最後一筆是漸漸向上內卷的曲線,大略是成為時政型較好的。左端的三角形(圖109虛線的部分),可能是作為花押的補筆,這個花押「實」是「」的形象化,漸漸有左傾,不更動。因為念,以圖110顯示「」的草書體的略形及筆順。其次是政顯的花押(圖111),也是花押作成的,除了作為的部分(圖112虛線的部分),骨架(圖113)大約是與其父實政相同的花押,依據「」可了解。即政顯不以他的實名,是以其父的花押加以修正。95.10.14
頁143
Ⅵ十六世紀武家的花押-143
Ⅵ十六世紀の武家の花押
頁144
 花押は自署から発しており、押署する本人を他と区別するシルシ(判)である。つまり花押は押署者の表徴である。従って花押は本来、人人ちがうはずであり、事実大部分がそうである。だが、ちがうといっても、ちがう中にもおのずから一つの類型にもとめてみることのできる花押が数多くあり、また、著しく類似した花押もある。このような花押の類似性、類型性が、全くの偶然の結果であるよりはむしろ、何らか、作為の結果である方が一般的であろうという予測に立って、作為の実体を考え明らかにすることは、花押史の中の一節、おそらくは花押の形の歴史の中心部分をなすことになるであろう。日本の花押史の中で、種々の意味で甚だ激動的であり、転換期として位置づけられるであろう十六世紀を中心に、花押の類似性、類型性の問題を考えてみたい。但し、この時代の花押全般を考察する力は筆者にはないので、ここでは、筆者がこれまで比較的関心を懐いてきた武家の花押だけを対象としたい。
花押是從自署發起,以區別本人與他人的簽名。總之,花押是押署者的表徵。從前花押本來是應是每人都不同,事實上大部分也是如此,只是以不同之中,又可自成一類型,大多數的花押成為顯著的類似花押。花押的類似型、類型性是全部偶然的結果,為何會有如此的結果,考量作為實體,花押史中的一節,恐怕是成為花押的歷史中心的部分。日本的花押史中,在各種意義中非常激動的,作為轉型期的位置是於十六世紀,應去考量花押的類似性、類型性的問題。可是,以此時代的全部花押來思考,筆者無此心力,因此關心的是武家的花押為對象。
頁145
 一新様式の発生
一 新形式的產生-145
 室町時代の武家の花押では、足利尊氏の花押に発する、いわゆる足利様の花押が隆盛をきわめたことは、広く知られている通りである。まずその例を数点あげておく(図1~4)。室町末、戦国時代、織豊政権期においても、伝統的な足利様を追うものの多かったことはいうまでもないが、そうした中で、いくつかの、足利様と決別した新様式が出てくるのを認めることができる。次にそれを四
室町時代的武家花押以足利尊氏的花押起發,到了隆盛時達到極致。首先舉出幾個例子(圖1~4)。室町末、戰國時代、織豐政權期不再是追隨著傳統的足利樣式,與足利樣式訣別的新樣式出現。試著四項要敘述。
頁146
項にもとめて述べてみたい。
 足利様について一言つけ加えるならば、一様に足利様と見られる花押の中にも、ただ足利様に追随しただけで、実名とは全く無関係に作られた花押と、足利様の形を追いながらも、実名の一字もしくは部分を含めて作られた花押とがある、ということである。今、後者の実例として尼子経久(図5)同晴久(図6)、毛利元就(図7)をあげておく。尼子経久・同晴久の花押には「久」の字が含まれており、毛利元就の花押には、その上半部に「元」の字が含まれている(元就のこの型の初期の花押を見ると、一層よく分かる)。こういう例は、鎌
就足利樣式而言,以一句話來說的話,與其一樣的花押,僅追隨足利樣式,與其實名全無關係所作的花押,追隨著足利樣式,也可能含有實名的一個字。在今天後者的實例尼子經久(圖5)、同晴久(圖6)、毛利元就(圖7),尼子經久、同晴欠含有「久」字,毛利元就的花押上半部含「元」字(元就是此型初期的花押可以更容易理解)。
頁147
倉時代の、北条の風靡した北条一族の花押にも認められるから、南北朝・室町時代を通じて、こういう作り方が、部分的にせよ存在したと考えてよいであろう。
此例在鎌倉時代,以北條氏一族的花押風靡的北條樣式,在南北朝及室町時代也如此,存在部分的作法。
  A実名文字の倒置・裏返し
A將姓名文字倒置及翻面-147
 近江北部の戦国大名浅井久政の花押(図8)は、全体の形を、下向き彎曲型ともいうべき当時の新型に準拠しつつ(下向き彎曲についてはなお後述)、その中に「久」の字の草体を左に倒して書きこんでいる。次に久政のこ長政の花押(図9)は、「長」の字を右に倒して形象化したものである。浅井長政ははじめ六角義賢の一字をもらって「賢政」と名乗ったが、やがて六角と絶って織田信長と盟約し、信長の一字をもらって「長政」と改名した。改名と同時に、従来の花押をすてて、この型の花押を用いるようになったようである。詳しくいえば、永禄四年(一五六一)閏三月九日にはまだ浅井備前守賢政と署して旧花押を用いているが(近江、称名寺文書)、同年六月二十日の書状には長政と署して、この新型の花押を用いている(図9は永禄六年十月八日付、成就院文書から採った)。このような実名の
近江北部的戰國大名淺井久政的花押(圖8),以全體形式是以向下彎曲型應該是漸漸為當時的新型式準據(後述向下彎曲型),其中的「久」字的草書體是向左倒的寫法。久政之子長政的花押(圖9)是形象化的「長」字向右傾倒。淺井長政開始含有六角義賢的一個字,以「賢政」為名,大約在與六角斷絕與織田信長結盟,以信長的一個字改名為「長政」,改名同時也捨棄以前的花押,改用此型。詳細說明的話,永祿四年(一五六一)閏三月九日淺廿備前守賢政仍簽署舊花押(近江、稱名寺文書),同年六月二十日的書狀簽署長政,改用新花押(圖9是永祿六夫十月八日付於成就院文書)。實名
頁148
一字を倒して花押を作る例は、遥かに溯って平安末期、久安四年(一一四八)四月十五日三春是行の花押(図10)に見出すことができる。これは東大寺図書館所蔵の東大寺文書に収められた是行の起請文に押署されていて、明らかに「行」の字の草体を右に倒した形である。してみると、こういう花押の作り方は中世を通じて存続したかもしれず、にわかに戦国時代新出の様式ともいいきれない感もあるが、現在のところ、中世に適例を見出せないので、ひとまず新様式に入れておく。
 実名文字の倒置と関連してあげられるのは実名文字の裏返しであって、織田信長の花押にその適例を見ることができる。織田信長は
中的一個字倒寫的花押例,追溯到遙遠的平安末期,久安四年(一一四八)四月十五日三春是行的花押(圖10),收在東大寺圖書館所藏的東大寺文書,為是行的起請文的押署,可明白是「行」的草書體向右傾倒。這樣花押的作法通行於中世且繼續存在,突然戰國時代出現新樣式,感覺不美,在現在的無中世的適當例子,進入與之前不同的新樣式。
與倒置實名文字相關是的是翻面的實名文字,以織田信長的花押是最好的例子。織田信長
頁149
頻繁に花押を改めたことで知られる人物であって、大まかに分類しても前後八類を数えることができる(図11~18)。すなわち信長は、父のあとをついでまず足利様の花押(図11)を用いたが(天文十八、九年〔一五四九、五〇〕頃)、天文二十一年になると、ここに取り上げる第Ⅱ型(図12)を用いており、以後頻々と形を変えて、ついに足利様に戻ることはなかった(信長の花押については奥野高広『織田信長文書の研究』下巻巻末参照)。さて、信長のこの花押の左部分は「長」の草体裏返した形である。残りの右部分は判然としないけれども、「信」の字を形象化したものの裏返しと見てはどうであろうか。もしそうならば、こ
是周知頻繁改變花押的人物,粗略分類前後有八種。(圖11~18)信長延續其父用足利樣式的花押(圖11)(天文十八、九〔一五四九、五○〕),天文二十一年時改為第Ⅱ型(圖12),之後一直改變,最後不回到足利樣式(信長花押參照奧野高広《織田信長文書の研究)下卷的最後。)信長的花押左部分是「長」的草書體翻面,雖然殘留的右半部不明確,可看出是「信」字的形象化再翻面。若如此的話,
頁150
の花押は「信長」の二字を左横書にして裏返した形となる。左横書、裏返しという二重の意外性をもつものとして、新奇、奇抜な花押の続出した当代にあって、一頭地を抜くと評してよいであろう。
 それでは、実名文字の倒置とか裏返しのような新奇な型を用いる主たる意図は何であろうか。花押の原拠を秘匿できる点や、ここにあげた浅井久政・織田信長の例に見られる如く、比較的短い線(極端な場合には点に近くなる)を多数み合わせている点などから考えれば、これらの型は偽造、盗用の防止を主眼として作成されたと見てようであろう。この解釈を裏付けるかのように、浅井長政は図9の花押に年を追うて小変更を加えて、次第に横長の方形に変えており、信長に至っては、Ⅱ型よりも一層短線と点の多いⅢ型(図13)、Ⅳ型(図14)へと移ってゆくのである(Ⅲ型、Ⅳ型が何もとづくものか、いまだ成案をえない)。
這個花押是「信長」二字左橫書再翻面。左橫書加上翻面這二個特別的書寫方式,是成為當代新奇的花押。
倒置實名文字或翻面的新奇型花押,其用意何在。花押的原來是要隱匿的,如淺井久政、長政及織田信長的例子可見,多數組合是用比較短的線條(近乎極端的狀態),這樣是為了防止偽造及盜用。以此為解釋的證據,淺井長政隨著年齡增長有小變化,改成橫長的方形,到了信長的Ⅲ型(圖13),比Ⅱ型更多短線及點再轉移到Ⅳ型(圖14)。(但是基於何因成為此型,無法得知)95.10.15 96.06.19
  B苗字の文字の使用
B使用家族姓氏的文字-150
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